「大人は判ってくれない」
(原題:Les Quatre Cents Coups)
1959年6月3日フランス公開。
1960年3月17日日本公開。
フランソワ・トリュフォー監督の初の代表作。
ヌーヴェルヴァーグを決定づけた大ヒット映画。
第12回カンヌ国際映画祭監督賞受賞。
脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー
監督:フランソワ・トリュフォー
出演者:
ジャン・ピエール・レオ 、 アルベール・レミー 、 クレール・モーリエ 、 パトリック・オーフェー 、 ロベール・ボーヴェー 、 ジャン=クロード・ブリアリ 、 ギイ・ドゥコンブル 、 ジョルジュ・フラマン
あらすじ:
大人たちは少年時代を思い出しては、楽しかったという。が、十二歳のアントワーヌ(ジャン・ピエール・レオ)には、毎日がいやなことの連続だ。
その日も、彼は学校で立たされ、宿題を課せられた。
だが、親子三人暮しのアパートには共かせぎの両親が帰る前に、日課の掃除が待っていて、口やかましい母親と、妻の顔色をうかがう父親とのあわただしい食事がすむと、そのあと片づけで、宿題をやる暇はなかった。
翌朝、登校の途中、親友のルネと出会うと、彼は学校へ行くのをやめ、二人で一日を遊び過ごした。
それはどんなに晴れ晴れとしていたことだろう。
だが、その日の午後、街中で見知らぬ男と母親が抱き合っているのを見た。
視線が合った。
その夜、母の帰宅は遅かった。
父との言い争いの落ち行く先はアントワーヌのことだ。
彼は母の連れ子だった。
翌朝、仕方なく登校し、前日の欠席の理由を教師に追求されたとき、思わず答えた。
「母が死んだのです」と。
しかし、前日の欠席を知った両親が現れ、ウソがばれた。
父は彼をなぐり、今夜話し合おうといった。
その夜、彼は家へ帰らず、ルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。
母は息子の反抗に驚き、学校から彼をつれもどした。
風呂に入れて洗ってくれた。
精一杯優しく彼を励ますが、彼は心を閉ざしてしまっていた。
翌日から平和が戻ってきたように見えた。
親子で映画にも行った。
だが、ある日の作文で、アントワーヌは尊敬するバルザックの文章を丸写しにし、教師から叱られ、それを弁護したルネが停学になった。
彼も、欠席して家を出て、ルネの家にかくれ住んだ。
金持の子の大きな家の一室で、食べものを探しながらの生活は、たいした冒険だった。
やがて金に困り、ルネと共に、父の勤める会社のタイプライターを盗みだした。
しかし、金に換えることができず、もとに戻しに行った時守衛に捕まった。
父親は彼を警察へ連れていく。
非行少年として少年審判所へ送られた。
護送車の中で初めて涙が出た。
母親は少年に面会もせず、判事の鑑別所送りのすすめに応じた。
鑑別所で、束縛された毎日のあと、やっと母親が面会にきた。
ここが似合いだよ。母は冷かった。
アントワーヌは監視のスキに、脱走した。
駈けた。野を越えて。海へ、海へ。
初めて見る海は大きかった。
見捨てられた彼をゆるやかに迎えた。
彼は浜に立ちつくした。
コメント:
ヌーヴェル・ヴァーグの新鋭フランソワ・トリュフォーの第一回監督作品。
第12回カンヌ国際映画祭に出品されて大絶賛を浴び、監督賞を受賞。作品は大ヒットを記録し、トリュフォーとヌーヴェルヴァーグの名を一躍高らしめることとなった記念作。
原題の「Les Quatre Cents Coups」を直訳すると「400回の殴打、打撃」
これは、フランス語の慣用句「faire les quatre cents coups」(「無分別、放埓な生活をおくる」といった意味)に由来する。
まさに、このタイトル通り、少年が学校も家庭も放棄して徹底した不良少年になる様子が描かれている。
前半に描かれる、主人公・アントワーヌの日常は息がつまるような日々。
学校では、イタズラ坊主として先生からねちねちとねらい打ち。
家では、母親は気むずかしく、父親は抜けたような軽さ。
夜の夫婦喧嘩は耐えられない。
繊細なアントワーヌの心は蝕まれる。
心許せる友だちルネと図って学校をずる休み。ところが町中で見知らぬ男とキスをする母親を見てしまった。前半の重要なシーンだ。
翌日、教師から休みの理由を質された。
アントワーヌは「母が死にました」とすぐバレる嘘をついた。
この一言は、反抗期の少年の親に対する不信と拒絶を象徴している。
作品の中で鋭利なナイフのように暗く輝く、この作品を言い尽くしているようなセリフだ。
後半はアントワーヌの反抗が描かれる。
全面的に従属させられる子供の世界から、意図を持って反抗する少年アントワーヌの軌跡が描かれる。
親友のルネの家は金持ちで家が広く、アントワーヌを秘かに住まわせる部屋もあった。
大好きな映画を観る。わずかながらも自由を謳歌する。
カメラは俯瞰を上手く使って少年たちの自由奔放をとらえている。
しかし時代は抑圧的な50年代。
タイプライターを盗んだという事実はアントワーヌをつぶす十分な罪だった。
父と母に見放されたアントワーヌの運命は急展開する。
序盤では想像もつかなかったアントワーヌの鑑別所暮らし…。
本作は、基本はトリュフォーの少年時代の物語なのだという。
しかし、それを映像化するのはたやすいことではない。
この映画の成功の要因となったのは、キャスティングだ。
主人公・アントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオが素晴らしい。
当時13歳の生身の少年が、思春期の苦悩を見せる。
精神科の女医の質疑応答で見せる確かな表情、ラストのストップモーションまで、すべての映像が観る者に迫ってくる。
アントワーヌが持つ物語と詩、描いた画がフィルムに焼き付けられているのだ。
本作を観た当時の文化大臣 アンドレ・マルローの推薦を受けてカンヌ国際映画祭に出品し、監督賞を受賞、一躍「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手として知られるようになったのである。
フランソワ・トリュフォーは、戦後のフランスにおける新しい映画スタイル「ヌーヴェルヴァーグ」を代表する監督で、多くの作品を残している。
代表作は、『大人は判ってくれない』(1959年)、『突然炎のごとく』(1962年)、『夜霧の恋人たち』(1968年)、『野生の少年』(1970年)、『恋のエチュード』(1971年)、『アメリカの夜』(1973年)、『終電車』(1980年)。
2022年8月は、日本でもこの作品が劇場で観られる。
角川シネマ有楽町が、生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険」と称して、8/12(金)~9/1(木)までの期間、トリュフォー監督の作品群を上映するのだ。第1日目に本作も上映される。