水上勉の映画 「五番町夕霧楼 」 水上勉の代表作! 佐久間良子主演! フルネタバレ付き! | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

「五番町夕霧楼 」

 

 

「五番町夕霧楼 」 ラストシーン

 

1963年11月1日公開。

金閣寺炎上にまつわる廓の女を描いた水上勉の同名小説の映画化。

配給収入:2億1800万円。

 

原作:水上勉「五番町夕霧楼 」

脚本:鈴木尚之、田坂具隆

監督:田坂具隆

 

キャスト:

  • 片桐夕子:佐久間良子
  • 櫟田正順:河原崎長一郎
  • 酒前伊作:進藤英太郎
  • かつ枝:木暮実千代
  • 久子:丹阿弥谷津子
  • 敬子:岩崎加根子
  • 照千代:木村俊恵
  • 雛菊:霧島八千代
  • 紅葉:清水通子
  • 団子:谷本小夜子
  • きよ子:安城百合子
  • 松代:標滋賀子(しめぎ しがこ)
  • お新:赤木春恵
  • おみね:岸輝子
  • 片桐三左衛門:宮口精二
  • 母:風見章子
  • 菊市:北原しげみ
  • 三田看護婦:山本緑
  • 国木はん:東野英治郎
  • 勇はん:小林寛
  • フーさん:河合絃司
  • 鳳閣寺和尚:千田是也
  • 鳳閣寺寺男/燈全寺寺男:織田政雄
  • 燈全寺役僧1:相馬剛三
  • 竹末甚造:千秋実

 

 

あらすじ:

京都五番町タ霧楼の女将かつ枝は、夫伊作の死を聞いて駆けつけた与謝半島樽泊で、はじめて夕子に会った。

夕子の家は木樵の父三左衛門と肺病の母、それに妹二人という貧乏暮らしであった。

色白で目もとの涼しい夕子を、かつ枝は一目見て、いける子だと思った。

長年の水商売の直感だ。

夕霧楼につれてこられた夕子は、同僚のうけもよく、かわいがられた。

そんな夕子にかつ枝は、夕霧楼とは長年のお得意の西陣の織元竹末甚造に水揚げをたのんだ。夕

子の境遇に同情したおかつのはからいなのだ。数年前妻をなくし、独り暮しをつづける甚造は夕子の旦那としてはかっこうの男だった。

それから素直にうなづいて甚造に従う夕子の姿が、夕霧楼にみられるようになった。

甚造も美しい夕子の身体をほめ、ひきとりたいとおかつに話した。

そんな時、この夕霧楼に一見学生風の陰気な男が、夕子を訪ねて来る様になった。見

とがめたかつ枝の忠告を、常になくはねつける夕子の固い態度に、かつ枝は意外に思った。

青年は櫟田正順という鳳閣寺の小僧だった。

織物の展示会の日、甚造が会場に借りた燈全寺で青年を見てわかったのだ。

寺の小僧に遊女を買う金がある筈がない。

夕子を問いつめたかつ枝は意外なことを聞かされた。

夕子と正順は幼な馴染みで、吃音のため誰からも相手にされず、狐独な正順を、夕子がかばっていたというのだ。

泊っても、二人は故郷の美しい風景を語ったり童謡を口ずさんでいるという。

そして遊びの金は全部夕子が自前でもっていたというのだ。

社会から疎外されうとまれる正順も、夕子にとってはかけがえのないやさしい人であった。

夕子の身体を心配して高価な薬をもって来る正順、そんな二人も、甚造の企みから正順は鳳閣寺で折かんを受ける身となり、夕子も肺病で身を横たえる運命にあった。

そんな夕子の耳に鳳閣寺放火の声が!! 

狐独な正順の心が社会に放った復讐の一念だった。

留置場で正順が自殺したと報じる新聞を手に、夕子は美しい百日紅の花のある故郷をなつかしく思った。

蒼く澄んだ日本海を下に見る、故郷の墓地、今は全てを失った薄幸の夕子のうえに、その死体をつつむようにして真紅な百日紅が散りかかっていた。

 

 

ネタバレ:

昭和26年の初秋の頃。

京都五番町「タ霧楼」の女将かつ枝(小暮)は、夫伊作(進藤)の葬式で与謝半島樽泊へ、店で働く遊女久子(丹阿弥)と共に駆け着けた。
冒頭は、1人の男が狭い坂道を登って行く場面から始まる。その男性は後ろ姿を見せて、眼下の日本海を見詰めながら、ゆっくり倒れる。かつ枝の夫の最後だった。
伊作は夕霧楼をかつ枝に譲り、生まれ故郷の丹後の寒村へ帰った。〝地べたを裸足(はだし)で踏む暮らし〟を選んだのである。その在所で、かつ枝は初めて19歳の夕子(佐久間)と呼ぶ女性に出会った。
夕子の実家は、木樵の父三左衛門(宮口)と肺結核の母(風見)、それに妹2人の家族で酷い貧乏暮らしだった。
まさに鄙には希な色白で目元の涼しい夕子を一目見て、かつ枝は〝いける子〟だと即座に思った。長年の水商売からの直感である。
半島の貧農では、娘を遊女にするより他に現金を得る手段は無かった。昔からの日本のありふれた慣習でもあった。親も娘も、已むを得ない仕儀だと最初から諦めていた。
  次の日、険しい石の坂道を船着場へ下り、かつ枝と久子は夕子を伴って小さなポンポン船で村を離れた。

「五番町夕霧楼」①-3半島の断崖の下を船が進む時、夕子は絶壁の奥に見える小さな寺を指差して、「百日紅が咲いとります」と言った。
 秋の初めである。その花は遠くから眺めても、真紅に近い花が赤々と際立っていた。海の青さと赤い花を見送る夕子の横顔が可憐だった。
こうして、父親の強い頼みもあって夕霧楼に連れて来られた夕子は、同僚の遊女らの受けも好く皆から可愛がられた。
 そんな夕子に対して、かつ枝は夕霧楼とは長年のお得意である西陣の織元竹末甚造(千秋)に水揚げを頼んだ。
  

夕子の境遇に同情したかつ枝の特別の配慮だった。数年前に妻を亡くして独り暮しを続ける甚造は、夕子の旦那としては恰好の男だったのである。店にもかなりの大金が入る。
 夕霧楼では、10名近い遊女全員に、夕子の水揚げを祝う赤飯が出た。ただ、男気の無い遊女達だけの夕食は、沈み込んだ裏悲しい雰囲気に満ちていた。

「五番町夕霧楼」①-4死んだ伊作の仏壇にも赤飯が供えられた。その部屋で、遊女達はそれぞれの想いに沈み込んでしまうのだった。どの女にとっても、悲しい辛い想い出ばかりである。
年長の久子が「一杯飲みとうなった」と呟く。それも、目出度いからではなくて、自分の悲しい想い出を払い落としたいからだった。
皆と少し離れた上がり框(かまち)に腰掛けて、赤飯のお相伴に預かっていた下働きのおみね(岸)は無口で何も言わなかった。しかし、それだからこそ、彼女はいっそう深い同情を胸に秘めて、彼女達の身を案じていたのだ。

「五番町夕霧楼」①-5水揚げの夜、かつ枝は甚造から2万円の小切手を受け取った。相場の最高額である。甚造が夕子の居る部屋へ入るのを確認して、かつ枝は襖をピシャリと閉めた。
夕霧楼の表では、客引きのお新(赤木)が5人の活動屋と押し問答をしている。帳場のかつ枝は、灯の消えた夕子の部屋をやはりを気にしていた。
暫くして、甚造が小走りに帳場へ出て来た。何か不満を言われるのかと気遣うかつ枝に、甚造は息を弾ませて「あの妓は処女やなかった」と言う。
  

かつ枝は水揚げ代を値切られるのかと心配すると、彼は「あれは珍しい身体や」と息を弾ませた。そして、夕子の身体が並みの女とは違っており、どんなに彼を喜ばせたかを語った。

「五番町夕霧楼」①-6好色で芸者や娼妓の遊びに長じた中年過ぎの男が、たった一度で夕子の肉体に惚れ込んだのである。処女かどうかなどは、全く問題ではなかったのだ。
それからは、素直に頷いて甚造に従う夕子の姿が、夕霧楼に見られる様になった。甚造も素晴らしい身体の夕子を引き取りたい、とかつ枝に話す程だった。

 

 



「五番町夕霧楼」①-7そんな時、この夕霧楼に一見学生風の陰気な男(河原崎)が、夕子を訪ねて来る様になった。見咎めたかつ枝の忠告を常になく撥ね付ける夕子の固い態度に、女将のかつ枝は意外に思った。


その青年は、櫟田正順と言う名の鳳閣寺の小僧だった。織物の展示会の日に、甚造が会場に借りた燈全寺で青年を見て分かったのだ。
寺の若い小僧に、遊女を買う金などある筈がない。夕子を問い詰めたかつ枝は、彼女から意外な事実を聞かされた。


夕子と正順は丹後の村の幼な馴染みで、吃音のせいで誰からも相手にされず狐独な正順を、夕子が昔から庇っていたと言うのだ。彼は、在所の寺の息子だった。
正順が泊っていっても、2人は故郷の美しい風景を語り合ったり小学唱歌を口遊(ずさ)んでいると言う。そして、遊郭での遊びの金は、全部夕子が自前で負担していた、と分かった。
そして、大金を出して夕子を引き取ろうとする甚造の申し出を、彼女は妾にはなりたくないと断わった。

「五番町夕霧楼」①-8同僚の遊女松代(標滋)が、ある日突然の落雷の轟音で部屋の客を跳ね飛ばし、帳場へ来て突っ伏してしまった。彼女は、広島の原爆被害者だったのだ。激しい雷鳴に發作を起こしたのである。


同僚の敬子(岩崎)からその事を聞いて、夕子は松代を痛ましく思った。誰もが不幸な運命を背負って、この遊郭へ集まって来ているのだ。
  

 

その夕子が、次の年の2月中頃に喀血した。その前に、彼女は風邪を引いて治らない、と正順に訴えていた。社会から疎外され疎まれている正順も、夕子にとっては掛替えのない優しい人間だった。
彼は寺から通っている大学を休み、アルバイトで稼いで外国製の高価な薬を買って来た。甚造が彼の遊郭通いを和尚に告げ口したため、正順は鳳閣寺から外出禁止の身でもあったのだが・・・。

「五番町夕霧楼」①-9正順は生来の吃音者で、それが彼の性格をいっそう暗くしていた。その彼が吃りながらかつ枝に頼んだ。「もう済んだ。安心せぇ」、と夕子に伝えてほしいと言うのだ。
  

かつ枝には何の意味か分からなかったが、夕子にはその意味が直ぐに理解出来た。その夜、北山の方角に火事があり、空が真っ赤になっているのを、夕子は病院の窓からじっと見詰めていた。

 


火元が鳳閣寺と聞き、正順が手配された新聞記事も読んだ。やがて、正順が自殺した記事が出た。その日、夕子は病院から姿を消した。

「五番町夕霧楼」①-10それを知ったかつ枝がしんみりと呟いた。「2人を繋げたのは、他人には分からない深い深い悲しみやった」。

 

夕子は古里へ向かう列車の中に居た。トンネルに入り、それを過ぎると眼下に青い波と白い泡の立つ海が見えた。あの寺の赤い百日紅が、その年はいっそう真っ赤に咲いていた。
 

寺の前の畑の隅に立つその百日紅の根元に、夕子は横たわって息絶えていた。知らせを受けた父の三左衛門が、息せき切って坂道を駆け上がって来た。


近所の人に助けられながら、彼は夕子の亡骸を背負った。ゆっくりと坂道を下りながら、父は娘に静かに話し掛けた。
「夕、よう帰って来たな。みんな待っとるぞ」。一同が立ち去った後に、百日紅が真紅の花片をひとひらふたひらと散らせていた。
                                               

 

 

コメント:

 

水上勉原作の小説を田坂具隆監督が緻密に映画に起こした傑作である。

佐久間良子の代表作といってよいだろう。

 

金閣寺の放火をモデルにした小説は三島由紀夫の「金閣寺」が有名だが、この話は水上勉が描いた「金閣寺」である。

どもりの青年と薄幸の娘の心の通じ合いを通し、社会のゆがみを問うといったところか。

故郷を出ていく時に佐久間の口から「部落」という言葉がでたりするのも、そういうことである。

そして、遊郭という日陰の社会に話を封じ込めるのも同じである。

 

 

主人公の純愛を柱に据えて、廓の女将、ご執心の旦那、それら、思惑を描いていく。
舞台が廓のわりに暗い話は出てこない。

登場人物もどちらかというと良い人達で、その辺りに違和感がなくもない。

そもそも水上勉の原作自体が、暗い話にはなっていない。


最大の見どころは、主人公が、初めての外出を境に性格がガラリと一変してしまうところ。
幼馴染との恋が再燃し、主人公・夕子の本性が現れるのだ。

 

 

そして、鳳閣寺に火をつけた恋人の正順が逮捕されてから彼女の人生は暗転する。

最期は、日本海が見える故郷の墓地で命を絶つのだ。

この悲しい最後は、水上文学の真骨頂であり、この映画のクライマックスになっている。


佐久間良子が美しい遊女を演じている。

彼女にとって最高の演技とも評価されるのは、恋人の青年との再会から恋の成就までを頂点にして、その後起こった恋人の放火から自殺までの不幸の連鎖を情念を持って演じ切っている。

 

これまで東映のプリンセス的な存在だった佐久間良子が、ようやく自身の俳優人生をスタートした記念すべき作品である。

何より佐久間良子が本当に美しい。

この頃は佐久間が最も輝いていた時期ではなかったか。

彼女の演技は絶品で、本作での佐久間良子の右に出るような演技ができる女優は恐らく日本にはいない。


主人公の幼馴染で、「どもり」であるがゆえに誰からも相手にされず、一人ぼっちになってしまった青年僧・河原崎長一郎の悲哀も胸に沁みる。

佐久間の友達で短歌をつくるのが好きな遊女は岩崎加根子。

目がパッチリしてて可愛い。

実は彼女が物語の後半で重要な役割を果たしていく。


劇中、扇子の柄が度々変わる。

季節の移り変わりを表現しているのだ。

こういう小道具の活かし方は秀逸だ。

舞台となる京都・五番町遊郭の町並みはセットで再現されている。

サルスベリの花が色鮮やかだ。
 

 

本作では、性描写はあえて全体を見せない、思いきって省く手法がとられており、かなり抑制が効いたものになっている。

原爆の被害に遭った過去を持ち、突然の落雷でフラッシュバックを起こしてしまう遊女も印象的。

 

この映画は、TSUTAYAでレンタルも購入も可能: