「激流」
1952年10月23日公開。
谷口千吉監督と三船敏郎とのコンビによる作品。
1968年に三船敏郎自ら製作して大ヒットした『黒部の太陽』(第100作)の先駆けとなった作品。
脚本:谷口千吉、西亀元貞
監督:谷口千吉
出演者:
三船敏郎、久慈あさみ、若山セツ子、田代百合子、島崎雪子、清水将夫、高堂国典、 多々良純
あらすじ:
山また山の東北のある山中に、ダム工事のために出来た急造のバラック建の街が出現した。
ある日この街へ無精ヒゲの小杉俊介(三船敏郎)という大学出の技師が配属されて来た。
リウ(久慈あさみ)はトラックに小杉を乗せて事務所へ送ってやった。
彼女は、母も、土方の親分をしていた父も失ってしまったのだが、松田所長(清水将夫)の世話で荒くれた飯場で働いている勝気な娘だった。
俊介は着く早々、地盤のゆるみから、犠牲になった人の葬式に立ち会った。
多くの人々が犠牲になっている現状を見て、俊介は暗然とするのだった。
彼の歓迎宴の席で、俊介は土地の茂吉老人(高堂国典)の孫娘で、芸者に売られた雛菊(田代百合子)を街のダニ・篠原の手からかばってやったが、雛菊にとって俊介はそれ以来忘れられない人になった。
リウや雛菊のひそかな思慕も、俊介には東京に陽子(島崎雪子)という美しい恋人があるのでかなわぬ恋であった。
しかし陽子は俊介の便りを読むたびに、彼の仕事にはついて行けない自分を感じて、その事を打ち明けるため山の中まで訪ねて来るが、俊介のあまりの喜びようを見て話すことが出来ずに帰京した。
ダムの工事は俊介が来てから一層馬力をかけられたが、工事が早くすすむとそれだけ儲け損う篠原たちは、工事を遅延させるため、坑道爆破を企てた。
信州(多々良純)という男が、金のためダイナマイトの仕掛を買って出た。
しかし篠原に恨みを持つ権三の密告で俊介は危険を犯して坑道に入り、ダイナマイトの導火線を抜いた。
信州は俊介の挺身をみて自分の非を悔い、爆発直前のダイナマイトにとびついて爆死した。
俊介は重傷を負ったが、彼の全快する頃、村民の立退きも、この事件以来円滑に進んでいることを知った。
しかし、茂吉老人は生まれた土地を愛する余り自殺してしまった。
ダムの完成の日、陽子から別れの手紙を受け取った。
その手紙を焼いているところに、リウが女らしく着飾って別れを言いに来た。
九州の飯場へ働きに行くのだという。
「僕も九州へ行こう」という俊介の言葉にリウの顔には明るい希望の光がさした。
コメント:
三船敏郎のデビュー作『銀嶺の果て」を演出した谷口監督の作品。
三船が扮する、まっすぐな性格で直球勝負で挑む技師の姿をすがすがしく描いたかくれた名作である。
映画の舞台は、北上川総合開発事業の田瀬ダム建設現場。
熱血ダム技術者 三船敏郎(当時32才)が、戦後日本の復興期に使命感に燃えてダム建設に立ち向かう。
次々と起こる様々な問題に真正面からぶつかり、まさに「激流」にもまれながら大きな人間として育ってゆく。
現場の負傷者救出、水没者などへの思いやり、不逞の輩の退治などに、遠距離恋愛の悲哀や新たな恋人との出会いを交えながら大活躍する、三船の面目躍如といったところである。
ファーストシーンで、完成したダムで楽しそうにボートを漕いでいる恋人達にナレーションがかぶる。
このダムでの水没者のこと、亡くなった人々のことなど、この二人に分かることはないと。ダムをはじめとする社会資本整備の宿命的とも言えるテーマが淡々と語られる。
そこから過去に遡り、ダム建設の場面に。用地買収の困難さ、農民の土地に対する執着、水没する人々や愛すべきダムに働く人たちの悲哀、金に群がる輩などダム現場に展開される赤裸々な人間模様を丁寧に浮き彫りにしている。
劇映画ではあるが、ロケーションは全て実際の現場で行われた。
現場事務所の活気ある雰囲気、宿舎や食堂での生活風景、仮設備やコンクリート打設現場の様子など隔世の感があるが、昭和20年代当時の空気が感じられる、貴重な記録映画でもある。
映画「激流」出演俳優たちの田瀬ダム工事現場ロケでの記念撮影写真
前列右から2番目が三船敏郎。前列中央の洋服女性が島崎雪子。
この映画は、TSUTAYAでレンタル可能: