「醜聞」
(スキャンダル)
1950年4月26日公開。
全くの偶然の瞬間が多くの人々にフェイクニュースとなって伝わり、巻き起こるスキャンダル事件の裁判劇。
三船敏郎、山口淑子、志村喬の3人が演じる黒澤映画の名作。
第24回キネマ旬報ベスト・テン第6位。
脚本:黒澤明・菊島隆三
監督:黒澤明
出演者:
三船敏郎、山口淑子、志村喬、桂木洋子、千石規子、小沢栄太郎、岡村文子、清水将夫、北林谷栄、青山杉作、左卜全、殿山泰司、千秋實
あらすじ:
新進画家青江一郎(三船敏郎)は、ある日愛用のオートバイを飛ばして伊豆の山々を写生に出掛けた。
三人の木こりが不思議そうな顔をして彼の絵を眺めている。
そこへ美しい歌声が聞こえてくる。
やがて派手な格好をした一人の女が山を登って来た。
人気歌手西條美也子(山口淑子)である。
バスが故障で歩いて来たが宿屋までが大変だ、と嘆く。
よろしい、それなら荷物だけでも僕のオートバイに積んでいってあげましょうと、青江が申し出た。
さらに、ついでに貴女も乗せて行きましょうということになった。
オートバイの相乗りで二人は宿屋まで素ッ飛ばした。
彼らがオートバイで宿屋に向かっている最中、二人の男がすれ違い、
「あれはもしかすると歌手の西條美也子ではないか!」
と叫んだ。
宿屋についた二人は、それぞれ別の部屋を取り、別々に風呂に入った。
ちょうどその頃、さっき彼らとすれ違った二人の男がカメラを持って宿屋に現れ、女中に西條美也子に逢わせてくれという。
西條さんは写真は撮りませんと、女中は断った。
二人は残念そうに宿屋の廻りをうろつき歩く。
その頃、風呂から出た美也子の部屋に青江が挨拶に来る。
二人は庭に面した手すりにもたれて話を始めた。
その時、先程のカメラマンがこれを見つけて、パチリとシャッターを切って、シメシメと逃げてしまった。
このカメラマンはカストリ雑誌(三流芸能誌)アムール社の写真部員だったのである。
現像を見た社長の堀(小沢栄太郎)は有頂天になった。
こいつは特ダネだ!
そこで彼は編集長に命じて、青江と美也子のラブロマンスをでっち上げさせた。
「新進画家青江一郎と人気歌手西條美也子の秘めたる恋。
恋はオートバイに乗って!」
煽情的なこの見出しで雑誌は飛ぶように売れた。
一万部を刷り、さらに増刷を狙って、堀は大々的宣伝をやり出した。
青江一郎は仰天し、憤怒の形相でアムール社に乗り込んだ。
堀は馬鹿丁寧に挨拶した。
その顔に青江の拳固が一発飛んだ。
この事が雑誌の売れ行きを更に増す結果となった。
青江は遂に訴訟にしようと決めて、マスコミのインタビューでもそう宣言した。
すると、くたびれた風体の弁護士・蛭田乙吉(志村喬)という男が青江の前に現れる。
このスキャンダル問題を聞きつけて、一肌脱いでやろうと言う。
青江は弁護士など誰も知らないので、蛭田に弁護を頼むことにする。
彼の家はひどい暮らしをしていた。
一人娘の正子は胸を病んで長らく寝たままであった。
蛭田に誘われて彼の家を訪れた青江は、結核を患って家で寝たきりの清純な少女がすっかり気に入った。
この娘の父親なら蛭田はキット正義に味方する人物だろうと思い込んだ。
ところが堀は蛭田に手を廻して自分の有利に裁判を導こうと札ビラを切って彼の丸め込みに成功したのだった。
十万円の小切手が蛭田のフトコロに入った。
彼は娘の正子を見る度に良心の呵責に耐えかね酒ばかり飲んだ。
一方西條美也子は訴訟は取り下げてくれと青江に言ったが、彼は正義は必ず勝つんだと言い張って聞かなかった。
その後、美也子も訴訟に同意し、青江は正式に告訴した。
その後クリスマスが来て、青江は美也子と共に、蛭田の家で、寝たきりの娘の為にクリスマスパーティを開いてやる。
すると、蛭田は良心の呵責に耐えかねて外に逃げ出してしまう。
蛭田は自分の浅ましい心を毒吐くが如く、「俺は、うじ虫だ!」と叫んで夜の町を逸走するのだった。
人の良い青江は、その蛭田の後を追う。
蛭田を捕まえた青江は彼をパブに誘い、そこで仲良く酒を酌み交わす。
だが、蛭田は更に自分の罪の重さを感じて苦しみもがく。
酔いどれ弁護士となった蛭田を青江が抱きかかえて帰路に就くが、ドブ川に映る星屑を見て
「あんたは、このドブ川のような蛆虫かもしれないが、あんたには美しいお星さまのような娘さんがいるではないか!」
と、青江が言う。
それを聞いた蛭田は、「うちの娘のことを、お星さまと言ってくれるのか…」
と呟いて号泣するのだった。
その後、ついに裁判は開かれた。
だが、青江が期待した蛭田の弁護はシドロモドロで青江は反って不利になっていった。
被告となった雑誌社の社長・堀には弁護人として法曹界の重鎮片岡博士が同席した。
二回三回と公判は進んだ。
被告側の弁護に立った片岡博士の論陣は明快で鋭かった。
蛭田は十万円の小切手を被告から受け取った為に、言わねばならない証言さえ黙って答なかったのである。
青江の立場はいよいよ妙な所に追い詰められていった。
そんな時、蛭田の一人娘・正子が遂に不帰の客となった。
蛭田の悲嘆ぶりはひどいものであった。
最終の公判に臨む蛭田の顔には今までとはまるで違う気魄が感じられた。
彼は証人台に立ち、十万円の小切手を取り出し、原告側の弁護士でありながら、この小切手を被告から受け取ってしまったことを告白する。
たくさんの人々が傍聴している法廷で自分の罪をありのままに白状したのであった。
これによって、裁判は一気に逆転し、青江と美也子の正当性が認められ、完全勝訴した。
片岡博士も、自分の側の敗訴をあっさりと認めた。
これで、西條美也子のスキャンダルはでっち上げであることが明白となり、芸能界での彼女の仕事には何の支障も無いことが認められたのだ。
コメント:
黒澤明監督による三船敏郎主演の大ヒット映画。
美人歌手・山口淑子と絵描き・三船敏郎の裁判という画期的なテーマである。
戦後5年程度で日本映画からこのような映画が作られていたことに改めて驚かされる。
黒澤明監督作品の普遍性を今さら強く認識できる。
黒澤監督がこの映画を語るとき、必ず蛭田という弁護士の存在が自分がどこかの飲み屋で出くわした人物と重なると言っている。
シナリオ作りにあたり、自身の記憶に止められた人物がキャラクターとして動き出すのである。
この蛭田という弁護士が悪徳弁護士だ、という点も巧みだ。そして原告代理人弁護士を悪徳弁護士に仕立て上げ、被告人の弁護士に著名な弁護士(本物の弁護士)を採用するという逆手にとるような構成。
実はこの構成は、黒澤監督のありとあらゆる映画に見え隠れする。
善悪の境目を逆手にとるような人物関係とは、最もわかりやすい作品が『野良犬』である。
銃を盗んだ逃走犯と盗まれた若き刑事はどちらも帰還兵で戦後のどさくさで、どちらが善か悪かは紙一重だ、という設定だ。
これはヒューマニズムを断固として描き続けようとする黒澤監督にとって欠かせない条件であり設定なのだ。
だから、主人公の画家が「自分を見てください!」と裁判官に向けて子供じみた善意をひけらかすことにもそれなりの意味があるのだ。
善が悪を倒す。これが黒澤映画の基本だ。
この裁判劇で言わんとすることは、単なる善悪ではない。
本来は善の立場を守るべき弁護士が、被告人の策略で小切手を受け取ることで、悪の片棒を担ごうとする。
それを見抜いている被告人側の弁護士は、原告ではなく原告代理人の弁護士蛭田に詰め寄らんとする。
蛭田には結核の娘がいて、最後の最後で、被告から裏で受け取った小切手を証拠物件にして逆転勝訴するという顛末。
悪に染まった酔いどれ弁護士が最後に善の心を取り戻して、真実を告白するという最高のフィナーレになっている。
この映画は、今でいう”フェイクニュース”を真正面から告発している。
写真週刊誌などが売れまくった時代は、このように著名人がターゲットになっていた。
今でこそSNSなどの普及でさらに複雑化してきているフェイクニュースの卑劣な存在を真っ向からこの映画は見据えている。
文春、新潮、フライデーなど、絶大な威力を持っている週刊誌。
同じような週刊誌は、昔からあったようだ。
江戸時代にも、かわら版というものが江戸の町で、最新ニュースを配っていたようだ。
志村喬の演技には目を見張る。
『野良犬』で先輩刑事役を演じたかと思えば、黒澤映画の『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』など黒澤作品の中心的な存在として君臨している。
その役回りのあまりの多さ、バラエティーに富んだ役作りには感嘆の一言しかない。
素晴らしい役者だ。
この映画の成功のカギは、事件の中心にいる三船敏郎という強くてハンサムな男優と、山口淑子という美人で歌手でもある女優の存在。
この二人だからこそ成立したスキャンダル事件の映画。
そして、悪に染まってしまった極貧の酔いどれ弁護士の善と悪の間で揺れ動く心の風景。
こういう脚本を生み出せる劇作家としての黒澤明の創造力の豊かさはハンパない。
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