「橋のない川」
1969年2月1日公開。
明治の終わり頃の部落民問題を厳しく描いた問題作。
原作:住井すゑ「橋のない川」
脚本:八木保太郎
監督:今井正
キャスト:
- 畑中ふで:長山藍子
- 畑中ぬい:北林谷栄
- 畑中誠太郎:高宮克弥
- 畑中孝二:大川淳
- 永井藤作:伊藤雄之助
- 永井さよ:阿部寿美子
- 永井しげみ:島田洋子
- 永井安夫:比嘉辰也
- 志村国八:山村弘三
- 志村貞夫:北正仁
- 杉本まちえ:蒲原まゆみ
- 柏木はつ先生:寺田路恵
- 秀賢:今福正雄
- 永井武:根尾一郎
- 峰村悠治:石立鉄男
- 峰村七重:酒井靖乃
- 志村敬一:多賀勝
- 大竹:小沢昭一
- 校長:田武謙三
- 青島先生:塩崎純男
- 吉雄:大橋洋一
- 駐在:北見唯一
- 司法主任:北村英三
- 刑事:沢田トモ
- 地主の番頭:小瀬格
- 鳶の頭:国田栄作
- 悠治の嫁:高井章子
- 仙吉:森本隆
- 重夫:出口静
- はなよ:竹本真澄
あらすじ:
明治末年。小森村は奈良盆地の一隅にある貧しい被差別部落だった。
村の人々は、耕やす田畑はせまく、草履づくりでその日を送っていた。
日露戦争で父を亡くした誠太郎、孝二の兄弟は小学生だったが、伸び伸びと育っていた。
しかし、被差別部落民に対する世間の偏見はひどく、明治四年に公布された解放令も名ばかりで、就職、結婚も思うようにいかないのが現実だった。
誠太郎と孝二がそんな世間の冷い目の中で明るさを失わなかったのは、母ふでのお蔭だった。
ふではシンの強い女だった。
間もなく誠太郎は尋常料を卒業し、何でもやると言って大阪へ奉公に行った。
孝二が六年になったある日、村が火事になった。
在所の消防団は、小森村だからほっとけ、と取り合わなかった。
火事を起したのは、空腹の弟のために豆を炊こうとした武だった。
武はその夜自殺した。
武の父・藤作は、武の死体を抱きながらこの村にも消防ポンプを買うのだ、と決心した。
明治四十五年。
天皇大葬の夜、孝二は同じクラスの杉本まちえが、被差別部落民の自分に好意を持っているのを知って、信じられぬほど喜ぶのだった。
奈良盆地に春が訪れた頃、藤作の努力で、小森村は消防ポンプを買った。
そして、村対抗の提灯落し競争で、藤作たちはみごとに勝ったが、在所の人々の手で優勝旗を焼かれてしまった。
それを見ていた孝二たちは、改めて人間差別に対する怒りを燃やすのだった。
大正十一年三月三日、封建的な差別と貧困を打破るために団結した被差別部落の人々は、全国水平社を創立した。
それは被差別部落民による最初の人権宜言だった。
コメント:
原作は、生涯を部落民問題に捧げた小説家・住井すゑの代表作「橋のない川」である。
第1部950枚は部落問題研究所の機関誌『部落』に連載されているが、これは夫の遺骨を東京・青山の無名戦士之墓に納めたその足で部落解放同盟を訪ね、「今日から人間解放の仕事に参加させてほしい」と申し出て、実現したものだという。
第1部は61年、新潮社から刊行。
第2部からは書き下ろしで、93年に第7部を刊行して完結。
36年がかりの大作である。
舞台は奈良県。明治41年(1908)以降の、主人公の孝二や和一らの解放を求める生き方が、熱っぽく描き出されている。
この膨大な社会・思想小説の根底には、少女時代から抱き続けてきた被差別部落の存在に対する憤りと、彼らへの深い愛情が横たわっており、それが読者に抜き差しならぬ感銘をもって迫ってくる、隠れたロングセラー小説となった。
明治天皇の勅命により身分制度撤廃の法律が施行されたにも拘わらず、根強く残る部落差別の実態が明治末期から大正にかけての奈良盆地を舞台に克明なタッチで描かれる。
明治の終わりころの、被差別部落の様子が描かれている。
住所で差別され、学校で差別され、就職で差別され、結婚で差別される。
死んだ後も墓で差別される。
同じ人間なのに、どこが違うというのか。
差別される側の悔しさがよく伝わってくる。
或る夜、校庭で思いを寄せる女の子から、そっと手を握られた部落民の男の子が俄かに有頂天になるものの、後日その行為が”部落民は夜になると蛇のように冷たくなる”という噂を確かめる為の悪戯にすぎなかったと女の子から告白される残酷なシーン。
これは、言葉にできない絶望を感じさせる場面だ。
村民あげての放水ポンプによる提灯落とし競争に被差別部落が優勝するものの、村ぐるみの妨害行為によって優勝旗が燃やされる事件も恐ろしい。
こんな時代が、つい最近まであったということを、令和の人々は認識しなければならない。
「藤作」というダメ親父を、伊藤雄之助が懸命に演じている。
この男は、窮すれば他人の家の水を盗んだり、自身の娘を売る男だった。
しかし、時間の流れや数々の出来事、事件の中で藤作もまた変わっていく。
藤作の息子の武は、失火で森を焼いてしまった後、周囲の蔑視に堪えきれず幼くして自害してしまう。
また、厳しい環境下で必死に生きようとする「ぬい」というお婆さんを、北林谷栄が熱演している。
ぬいは、貧しく無学で文盲ではあるが、知恵と力に満ち、愛情深く、たくましい姑である。
ダメ親父がこんなにしっくりくる役者さんは雄之助以外に思いつかないし、こんなに農家のおばあちゃんが似合う役者は谷栄さん以外に思い浮かばない。
原作:住井すゑ「橋のない川」には大きく分けて2つの映画版が存在する。
1969年から1970年に今井正が監督を務めた映画(「第一部」「第二部」の2本)と、1992年に東陽一が監督を務め、ガレリア・西友共同で製作された映画である。
本作はその第一部である。
前者は、社会主義リアリズムの巨匠であった今井正が自ら映画化を企画し、東映で企画に上ったが、内容が暗すぎ、商売にならないと流れるなど、苦労の末に完成にこぎつけた。
第一部は当初部落解放同盟の推薦を受け、海外で映画賞を受賞するなど高い評価を受けた。
だが、やがて第二部製作中に日本共産党と部落解放同盟の関係が悪化するに至ると、監督の今井が日本共産党員として部落解放同盟の敵視を受けるようになり、部落民の描写などについて、当時の部落解放同盟幹部(朝田善之助ら)がクレームをつけはじめたという。
それに伴い、第一部も遡って「差別映画」の烙印を押されるようになる。
また当初は三部構成を考えていたが、部落解放同盟からの妨害がさらに激しさを増したため二部と三部を合体させて、二部を製作せざるをえなくなった。
本作に出演し、永井さよを演じた女優の阿部寿美子は、後に雑誌のインタビューに「この作品、某団体に撮影を妨害されたんですよ。」と語っている。
妨害者がフィルムを焼きに来るとの噂が立ち、いつでも避難できるよう防災頭巾を被って服を着たまま寝たことがあると述べている。
そのような騒動のさなか、広島での上映会で本作を見た女子学生が自殺するという事件が起こり、部落解放同盟側はこの映画を「差別助長映画」として徹底した上映阻止キャンペーン(過激派学生による上映会場襲撃など)を展開することになる。
この結果、本作は上映される機会が減り、ソフト化もされないという状況が長く続いた。
その後、2004年には第一部・第二部ともにDVD化されており、現在では見ることは容易になっている。
また、上記のキャンペーンは当時の部落解放同盟による日本共産党批判の具にされたという見方も今日では強い。
原作者である住井は、原作との違いなどを理由に批判する立場ではあったが、観るべき作品という一定の評価は与えており、観ずに「差別映画」と騒ぐ人間には映画以上に批判的であった。
社会派映画の制作というのは、かくも難しいものかと考えざるを得ない。
そんな厳しい環境下に本作(第一部)と第二部を完成させた今井正の不屈の根性に敬服する。
この映画は、TSUTAYAでレンタルも購入も可能: