「櫂」
(かい)
1985年1月15日公開。
宮尾登美子三部作のひとつ。
興行収入:7.5億円
脚本:高田宏治
監督:五社英雄
出演者:
緒形拳、十朱幸代、石原真理子、真行寺君枝、名取裕子、白都真理、島田正吾、成田三樹夫、草笛光子、左とん平
あらすじ:
大正3年、初夏の土佐の高知。
縁町界隈で芸妓・娼妓紹介業を商う富田岩伍(緒形拳)は、商用で大阪・神戸をまわって、旅の途中で拾った少女・菊を連れて帰ってきた。
富田の家には岩伍と喜和(十朱幸代)の間に病弱な長男・竜太郎、きかん坊の次男・健太郎の息子があり、それに番頭格の庄(左とん平)、女中の鶴、若い衆の米と亀がいる。
金使いの荒い岩伍のせいで、人知れず貧乏所帯をきりまわす喜和に、またひとつ菊の養育という苦労が重なった。
ある日、喜和は岩伍に命じられるまま、赤貧にあえぐ裏長屋の巻に米を届けた。
折悪しくそこは赤痢騒ぎ、しかも巻の無残な死骸を見た喜和は不覚にも気を失って倒れた。
死んだ巻の娘・豊美を芸事修業のため、岩伍が大貞楼にあずけたのは、それから間もなくのことだった。
そして大正15年5月。
菊(石原真理子)は19歳の美しい娘に成長していた。
大貞楼にあずけられた豊美は名も染勇(名取裕子)と改め、高知一の芸者になっていた。
健太郎、竜太郎も19歳、17歳とそれぞれ成長していたが、喜和の心痛は竜太郎の病弱、健太郎の放蕩だった。
この頃、岩伍は40歳中ばの男ざかり、豊栄座に招いた娘義太夫の巴吉(真行寺君枝)と肉体関係をもっていた。
かねてより女衒(ぜげん)という恥かき稼業を嫌っていた喜和はそのことが原因で実家である小笠原家に戻っていたが、そこに大貞楼の女将、大貞(草笛光子)が訪れ、とりなしを計った。
巴吉と岩伍は別れさせるが二人の間にできた子供は喜和が育てるべきだと。
喜和はあまりの理不尽さに身体がふるえた。
喜和が緑町の家に帰ってから間もなく、岩伍と対立する谷川一家の賭場で刃傷沙汰を起こし、弟をかばった竜太郎が多量の血を吐いて息を引き取った。
そして一方、岩伍の子を産み落とした巴吉は高知を去り、綾子と名付けられた赤ん坊の育事は喜和の仕事となった。
昭和11年5月。
綾子は11歳の愛くるしい少女に成長したが、喜和は病いに倒れた。
手術の末、奇跡的に命はとりとめたものの、髪を次第に失っていく悲運に見まわれた。
岩伍は今では大成し、朝倉町に移っていたがそこに照という女を住まわせていた。
ある日、今は父親の仕事を手伝っている健太郎は岩伍の意向で喜和に隠居を命じた。
喜和は綾子を連れて実家に身を寄せたが、追い打つように岩伍からの離縁話、そして綾子を返せという達し。
今では綾子だけが生きがいとなっている喜和はこれを拒否し、岩伍の殴打が容赦なく飛ぶ。
そのとき綾子が出刃包丁で岩伍に斬りかかった。
こんな骨肉の争いがあって間もなく、喜和は大貞の意見を入れ、身を切られるような気持ちで綾子を岩伍のもとに返す決心をした。
別れの日、橋のたもとで喜和は綾子が岩伍の家に入るまで見送った。
喜和はひとり、岩伍の家に背を向けた。
コメント:
大正初期、女衒(ぜげん)の岩佐(緒形拳)と女房の喜和(十朱幸代)の不条理な愛を描く。
ヒロイン・十朱幸代の迫真の演技が光る。
日本の100年前は、男尊女卑があからさまだった。
男が妾をとるのは、当たり前。
妾の子を正妻が育てるのは、当たり前。
親のために子が売られるのは、当たり前。
これはその時代の常識だったのだ。
歴史の勉強と割り切って、怒らないで観たい映画だ。
ダンナの職業が「女衒」。
「ぜげん」と読む。
女性を性奴隷として売買する商人のことだ。
こういうビジネスが認められていた時代だったのだ。
男は好き勝手に生きるのが当たり前で、
女はそれにじっと耐えるだけが当たり前。
そういう世界をとことん描いているのがこの映画「櫂」である。
実際にこの映画に出てくる場面のひとつがこれ:
妾の子を育てるのに、あんなに嫌がってた主人公が、
なんだかんだで、子供を育てることにかけては誰よりも真面目で、
「私が育てます!」
ってなる。
宮尾登美子の自伝的な話である。
女衒とはいえ、岩伍(緒形拳)が人でなしのように描かれている。
五社英雄監督らしく、十朱幸代をはじめ真行寺君枝、白都真理を脱がせている。
名取裕子は、本作ではヌードを売り物にはしていない。
幼い頃売られてきた娘の成長した姿の典型として、高知一の芸者になった染勇を演じている。
緒形拳を相手に、堂々と売れっ子芸者を演じる名取裕子の存在感がアップしている。
- 島田正吾は、森山大蔵という人物に扮している。
- 森山は、四国造船の会長で地元で影響力がある人物。
- 元々女義太夫で人気を博した“ろしょう”のファンで、“ろしょう”に似た巴吉のそのスター性を評価する。
- 緒形拳扮する岩伍の後ろ盾となる。
- 「ろしょう」というのは、豊竹 呂昇(とよたけ ろしょう)という女義太夫師のこと。
- 明治から大正にかけて女義太夫の頂点にいた。
本作は、『鬼龍院花子の生涯』・『陽暉楼』と合わせ、宮尾登美子原作、五社英雄監督のコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれる。
宮尾登美子の原作の刊行順で言うと「鬼龍院」や「陽暉楼」よりも先で、作家の初期にあたる作品。
「櫂は三年櫓は三月、浮かしておけば流される」という。
このことわざが冒頭に流れる。
「櫂」も「櫓」も舟をこぐ道具。
ヤクザ社会と花柳界という古いしきたりの中で喘ぐ女たちの姿が、より凝縮された形で描かれている。
喜和の夫である女衒(ぜげん)の岩伍(緒形拳)という存在は、「鬼龍院花子の生涯」での鬼政に当たる。
気に入った女を次々に手篭めにする岩伍。
その度に嫉妬と悲しみにくれる喜和。
男尊女卑がまかり通った前時代の女の悲しみはこのヒロインの姿に凝縮されている。
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