「ビルマの竪琴」
(ビルマのたてごと)
1956年1月21日公開。
日本兵がビルマの僧侶となって、一生日本兵たちの霊を慰める物語。
日本の文学者・竹山道雄が執筆した児童向けの作品『ビルマの竪琴』の映画化。
第二次世界大戦でのビルマ(今のミャンマ)を舞台としている。
受賞歴:
1956年ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞受賞。
1957年アカデミー外国語映画賞にノミネート。
原作:竹山道雄『ビルマの竪琴』
脚本:和田夏十
監督:市川崑
出演者:安井昌二、三國連太郎、浜村純、西村晃、三橋達也、北林谷栄
あらすじ:
1945年の夏。
敗残の日本軍はビルマの国境を越え、タイ国へ逃れようとしていた。
その中にビルマの堅琴に似た手製の楽器に合せて、「荒城の月」を合唱する井上小隊があった。
水島上等兵(安井昌二)は竪琴の名人で、原住民に変装しては斥候の任務を果し、竪琴の音を合図に小隊を無事に進めていた。
やがて、小隊は国境の近くで終戦を知り、武器を捨てた。
彼らは遥か南のムドンに送られることになったが、水島だけは三角山を固守して抵抗を続ける日本軍に降伏の説得に向かったまま、消息を絶った。
一方、ムドンに着いた小隊は、収容所に出入りする物売り婆さんに水島を探して貰うが生死のほども判らなかった。
ある日、作業に出た小隊は青い鸚鵡を肩にのせた水島に瓜二つのビルマ僧を見掛けて声をかけるが、その僧侶は目を伏せて走り去った。
水島は生きていたのである。
三角山の戦闘のあと、僧侶姿の彼はムドンへ急ぐ道で数知れぬ日本兵の白骨化した死骸を見て、今は亡き同胞の霊を慰めるため、この地へとどまろうと決心した。
物売り婆さんからあの僧侶の肩にとまっていた鸚鵡の弟という青い鸚鵡を譲り受けた井上隊長(三國連太郎)は「水島、いっしょに日本へ帰ろう」という言葉を熱心に教え込んだ。
三日後に帰還ときまった日、隊長は物売り婆さん(北林谷栄)に弟鸚鵡をあの僧侶に渡してくれと頼んだ。
すると、出発の前日になって水島が収容所の前に現われ、竪琴で「仰げば尊し」を弾いて姿を消した。
あくる日、物売り婆さんが水島からの手紙と青い鸚鵡を持って来た。
鸚鵡は歌うような声で「アア、ジブンハカへルワケニハイカナイ」と繰り返すのだった。
それを聴く兵隊たちの眼には、涙が光っていた。
コメント:
市川崑監督のこの作品が、太平洋戦争の哀しみを世界に伝える貴重な一作であることは間違いない。
戦争が終結し、井上隊の竪琴の名人水島はかろうじて生きながらえる。
農民に助けられた水島は岐路の途中にみる兵士たちの屍や村人との出会いを重ねていく心の旅を続け、僧になることを決意する。
水島が井上隊と別れる際、有刺鉄線越しに歌う別れの歌のシーンは、涙無くして観れない。
地獄の時代に放置されてしまった名もない兵士と犠牲者たちを弔い埋葬する鎮魂の旅は、過去を超えて未来に対する平和と相互理解を願う魂の浄化であり、その行為は尊い。
井上隊長のセリフ「我々の間にはまだ敗戦の苦労らしいものはまだ何もはじまっちゃいないんだ」が心に沁みる。
これには戦後日本に生きた市川崑監督の心がこの一言ににじみ出ているのだ。
この作品全体を通し、その後待ち構える敗戦後の精神の再生と苦難の道を深く感じずにはいられない。
「埴生の宿」の穏やかなメロディを背景にして、主人公の悔恨と決意、仲間の友情と愛惜、戦争の虚しさと愚かしさ、そういった諸々の気持ちがモノクロームの画面を通して深く心に沁みるエンドになっている。
主人公・水島を演じた安井昌二の僧侶姿が印象に残る素晴らしい作品。
三國連太郎は、水島上等兵の所属する井上隊の隊長として熱演しており、この映画によって世界に知られる存在になった。
現存するのは「第一部」「第二部」を編集した「総集編」である。
市川崑の述懐によると1956年の1月公開が決定していたが、ビルマロケの許可がなかなか下りず、急きょ国内撮影分のみを63分の第一部として製作し、それを公開した。
その後、1956年1月に水島役の安井昌二のみが同行して一週間のビルマロケを行った。
現在でもシュエダゴン・パゴダ(当時の首都ラングーンに存在するビルマ随一の仏塔)などに、撮影当時の面影をみることができる。
市川と日活の当初の約束では、2月に完全版の総集編(当然第一部とは中身が一部重複する)を封切る予定だったが、会社側は「すでに第一部のポジを何十本も焼いていてもったいない」とクレーム。
このため、封切り時点で「総集編」と「第一部+第二部」の上映が混在し、「総集編」は都市部での限定公開、それ以外の地方は「第一部+第二部」の上映だった。
このことが禍根となり、市川崑は日活を辞めたという。
本作はカラー撮影の予定があったが、機材がロケに適さないという経緯でモノクロに変更された。
なお、井上隊がパゴダの仏塔に入る場面は現地で撮ったフィルムをスクリーン・プロセスで合成した。
また、後半のクライマックスで涅槃像の中に水島が潜んで竪琴を鳴らし、井上隊が気付くシーンは、美術の松山崇が仏像(大臥像)を制作し、小田原の公園で撮影したという。
満月の夜、村の中でイギリス兵に取り囲まれ、これで最後かという所で埴生の宿の歌声、歌声の交歓によって終戦を知るシーン。
戦争の苦しみ、切なさが心の中に入り込んでくる名画だ。
何度見ても泣ける。
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