「砂糖菓子が壊れるとき」
1967年6月10日公開。
マリリン・モンローをモデルとした映画。
原作:曾根綾子
脚本:橋田寿賀子
監督:今井正
出演者:
若尾文子、藤巻潤、津川雅彦、田村高廣、船越英二、志村喬、原知佐子、根上淳、山岡久乃、仲村隆
あらすじ:
千坂京子(若尾文子)は肉体派女優というレッテルのもとにスターの座を得た女だった。
その派手な男性遍歴の経験からも、私生活と銀幕から与える京子のイメージは肉体派にふさわしいものと思われていた。
しかし、実際の彼女は、初心で、幸せな結婚生活を求めるただの女であった。
京子はまだ女優にならない頃、自分のヌードを吾妻(根上淳)に撮らせていた。
その可憐な姿を見た映画プロダクションの工藤(志村喬)は、京子を主演に「櫛」を製作した。
この映画が一躍京子をスターダムにのしあげたのだ。
たちまちのうちに華やかな女優生活に足を踏み入れた京子は、活気のある毎日の中に何かもの足りない心のさびしさを覚えた。
純で素朴な彼女にとって、頼りになる男だけが欠けていた。
そうした京子が、この華美な世界で次々と男を求めていくのは、きわめて自然ということができた。
監督の栗原、芸能記者の奥村(津川雅彦)、大学教授・天木(船越英二)などがその相手だった。
奥村は京子のヌード写真が公表され、芸能界のスキャンダルとして騒がれた時、失意の京子に近づき、慰めてくれたものの、京子の身体が目的であった。
芸能界での唯一の友人として奥村を信頼していた京子には打撃であった。
また、教養を身につけようと聴講生として大学に通った京子が天木教授を知った時、彼女は自分に必要なのはこの人だと考えて喜んだが、天木に肉体を求められ、彼女は再び深い絶望に陥らねばならなかった。
こうして、真の人間としての男を求めている京子は、逆にその男性遍歴を一人の男に満足できないセックス女優として、芸能誌に書き立てられていった。
そんなある日、ホームラン王の土岐(藤巻潤)を知った京子は、間もなく彼と結婚した。
健康で明朗な土岐は彼女の、満されぬ心の空洞をうめてくれるはずだった。
彼女をよく知る友人で、付人の春江(原知佐子)も、京子と土岐の結婚を喜んだ。
だが彼女の思惑とは異なり、二人の間には何の精神的な結びつきもなかった。
失意の彼女は、春江と二人で八ケ岳山麓のホテルを訪れた。
そこの透明な澄んだ空気を吸った彼女は生き返る心地がした。
そんな時、京子はホテルで作家の五木(田村高廣)に会った。
五木は京子と話合った後、京子の過去を分析し、京子は一人で生きていかなければならないと教えた。
それ以来、五木は京子の支えになった。
しかしある日、春江が電話で、京子のナポリ賞受賞を知って、京子の寝室に行くと、京子は受話器を手にしたまま死んでいた。
京子が最後に電話をしようとした相手が果して誰なのか誰にも分らなかった。
コメント:
マリリンモンローの生涯を日本に置き換えて描いた作品。
それができるのは若尾文子しかいない!
華やかな女優の世界と、つつましく人の妻に収まる選択にあちこちと揺れ動く演出は、見る者を引き込んでいく。
さすが、巨匠・今井正監督だ。
共演する男優陣は、藤巻潤、津川雅彦、田村高廣、船越英二などオールスターキャストで、東宝の志村喬まで出てくる。
それだけで見ごたえあり。
モンローの生涯と言うことで、ジョーディマジオ的役割の野球選手も出てくるのだけど、それが藤巻潤。
若尾文子の女優としての当時の輝きを確認したい人はこの映画を見ないと損する。
数少ない橋田壽賀子の映画シナリオという点も面白い。
さまざまな人間関係を描くのはこの頃から橋田寿賀子のお得意だったようだ。
曽野綾子の原作のモンローをモデルにした主人公を若尾文子が演じている。
その男性遍歴は、志村喬〈映画プロデューサー〉→津川雅彦(新聞記者)→船越英二(大学教授)→藤巻潤(野球選手)→田村高廣(作家)。若尾はきれいで、さまざまなヘヤースタイルや衣装やアクセサリーを使って女の変化を見せつけていて、さながらファッションショーだ。
最後に死んでしまうのはあまりにも惜しい。
今なら、続編を意識して、うまいシナリオを考えるだろう。
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