終戦記念日特集 深作欣二監督「軍旗はためく下に」夫の死因は何だった? これぞ真の反戦映画! | 人生・嵐も晴れもあり!

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これこそ、戦争の真実の姿だ。

戦闘シーンの再現ではなく、戦後の今、なお残る悲惨な戦争の傷あとと共に戦争を見つめ直すという意図のもとに製作された反戦映画。

 

 

「軍旗はためく下に」

 

軍旗はためく下に

 

 

1972/3/12公開。

戦場で死亡した夫の本当の死因を探し出そうとする妻の執念を通して訴える反戦。

結城昌治の直木賞受賞小説の映画化。

 

 

 

脚本:新藤兼人

監督:深作欣二

 

出演者:

丹波哲郎、左幸子、藤田弓子、三谷昇、ポール牧、市川祥之助、中原早苗、関武志、内藤武敏、中村翫右衛門

 

 

あらすじ:

昭和二十七年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが厚生省援護局は、一戦争未亡人の遺族年金請求を却下した。

「元陸軍軍曹富樫勝男の死亡理由は、援護法に該当すると認められない」というもの。

富樫軍曹の死亡理由は、「戦没者連名簿」によれば、最前線において、「敵前逃亡」により処刑されたと伝えられている。

そして遺族援護法は「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」とうたっているのだった。

富樫軍曹の未亡人サキエは、この厚生省の措置を不当な差別として受けとった。

それには理由があった。

富樫軍曹の処刑を裏付ける軍法会議の判決書などは何ひとつなく、また軍曹の敵前逃亡の事実さえも明確ではなかったからである。

以来、昭和四十六年の今日まで、毎年八月十五日に提出された彼女の「不服申立書」はすでに二十通近い分量となった。

だが、当局は「無罪を立証する積極的証拠なし」という判定をくり返すだけだった。

しかし、サキエの執拗な追求は、ある日とうとう小さな手がかりを握むことになる。

亡夫の所属していた部隊の生存者の中で当局の照会に返事をよこさなかったものが四人いた、という事実である。

その四人とは:

元陸軍上等兵寺田継夫(養豚業)

元陸軍伍長秋葉友幸(漫才師)

元陸軍憲兵軍曹越智信行(按摩)

元陸軍少尉大橋忠彦(高校教師)。

サキエは藁にもすがる思いで、この四人を追求していく。

彼らはどんな過去を、戦後二十六年の流れの中に秘め続けてきたのか?

その追求の過程で、更に多くの人物が彼女の前に現われてくる。

師団参謀千田少佐 小隊長後藤少尉 富樫分隊員堺上等兵 同小針一等兵。

そしてその結果、サキエの前に明らかにされたものは、今まで彼女の想像したこともなかった恐るべき戦場の実相だった。

敵前逃亡、友軍相殺、上官殺害等々。

そうしたショッキングな事件が連続する中で、サキエは否応なく、亡夫のたどった苛烈な戦争の道を追体験していくのだった。

 

 

コメント:

 

妻が夫の死亡の真実を追求する過程で、人間を極限状況に追い込んだ悲惨さをこれでもかと突き付けてくる映画。

ミステリー仕立てで事実が明らかになってくるのだが、そこには高度成長をとげ、戦争を忘れようとしている日本人への激しい怒りも込められている。

深作欣二の戦争への怒りだ。

 

こういう映画を、やくざ映画専門のような印象の深作欣二が撮っていたのは知らなかった。

すごくいい映画。

しかし、あまりにも救いが無く、かなしい。

 

反戦映画ではあるが、戦場の悲惨さや銃後の悲惨さを直接描くのでは無く、一人の男の死に様に納得のいかない妻の執念から、戦争責任を追及していく映画。
夫の死に納得のいかない妻は元戦友を訪ね歩いて行くうちに真実に突き当たる。

兵の口で語らせる真実は説得力があるが、もと上級幹部の証言は嘘くささがぷんぷんしている。
兵士によって少しずつ証言が異なるが、それに併せてドキュメンタリー風に白黒画像で当時を再現する手法は見事だ。

深作欣二の才能を再評価できる作品だ。

 

終戦記念日に、こんな映画があることを発見できたことはうれしい。

もう一度太平洋戦争という日本人の残した悪夢を真摯に分析したい気持ちになった。

二度と同じことを繰り返さないために。