『ファインディング・ドリー』を娘が激リピで見てるから、うちも少しググってみたら、面白い分析エッセイがあった。
自分の読みが浅いってことで、
「お前は何を観てきたんだ」「だからお前はダメなんだ」「俺の足の裏に生えたフジツボより生きる価値がない」「クローネンバーグに頼んでハエにしてもらえ」
とピクサーファンからけちょんけちょんにけなされた人がおる。
この中で「フジツボ」がらみのけなし方がむっちゃうちのツボにハマってしもたやん。
そんなわけでこの話をしたく、夫に「フジツボ」って英語で何て言うんかと聞いたら「知らん」っちゅー。フランス語で何て言うんかと聞いたら「知らん」っちゅー。
(英語ではBalanomorphaという…長っ)
てか、そもそもフジツボ自体を夫は知らんかった
ドリーの映画でもフジツボは描かれてたし、重要な役目をする緑色のバケツにも付いてたよ。あれを何やと思ってたんや???
海から遠いとこの住人ってこんなもんやねんな〜。
て、今、うちら海に近いやんけ。
で、思い出したんがうちのフジツボ恐怖体験(大したことはない)。
むか〜し昔、子供の頃のうちは一家で海へ遊びに行った。
多分小学校3〜4年生か?
うちは浮き輪にお尻を乗っけて、何を思ったかひたすら沖へ向かって漕ぎ出した(アホ息子の母やね♡)。
沖へ向かって漕いでも、すぐに波で押し戻されるから一生懸命漕いだ。
そうしてふと浜を振り返ったら、むちゃくちゃ遠いやん
1kmってことはありえんにしても、相当離れてて、人間がツブツブサイズになってたもん(←当時の小学生感覚で)。
こりゃヤバいってことで方向転換し、必死で浜へ向かって漕ぎ出したら、これまた波に押し戻されて大変やった。
しばらく頑張ったら、まぁ割りと安心圏内に戻れたんよね。
一安心してたら、岩がポツンと突き出してるんが見えた。
お、あそこで一休みできるかね?
と休む必要もあらへんのに何故か考えた浅はかな小学生のうち。
岩へ向かって漕いでったら、もちろん発見したんが、岩をびっしり覆うフジツボ。
ぎゃー
あれに当たったら痛い!
てか、浮き輪破れるんちゃう?→溺れ死ぬで!?
てことで、必死で逆に漕ぎ出すうち。
勢い付いてたからなかなか止まらんかったけど、浮き輪がフジツボに接触するんを寸前で避けることができた。
あの時の冷や汗、今も覚えてるわ
そんなこんなで無事に浜に戻り、何十年も過ぎてみたら南カリフォルニアでこんなブログ書いてるんやけどね。
うちのフジツボ恐怖物語を夫に語ったら、夫はフジツボやなく別んことが気になった。
「君の両親はさぞ心配したやろ」
「ん〜、まったく」
「え」
「なんかね、おらへんかったこと自体気づいてへんかった」
「」
とりあえずさ、昭和のあの頃はのんびりしてたな〜。
子供らは勝手にあちこち行ってて、子供ってそんなもんやと親は思ってたような。ま、うちの両親だけかもしれんけどさ。
っちゅーか、うちはフジツボばりに存在を忘れられてた
今ここLA近辺ではまずうちの体験はありえん。
小学生が勝手に浮き輪に乗って一人で海に入る自体、許されへん。
万一そんなことがあっても、ライフガードが監視してるんで、すぐに親が探されると同時にボートで沖へ救出に向かうやろう。
常に息子(←うちの夫)を管理下に置いて目を光らせてた義父なんで、夫にはうちの体験がアンビリーバボ〜。そしてフジツボの存在も人生で初めて知ったし。
地味なうちと一緒にいると、刺激的ですね
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