船乗りとして最初の休暇は,乗船してから14ヶ月後だった。

 

2月の半ばにロスアンゼルスで下船して,出港する船を見送ってから空港に向かった。

 

初めての休暇だったので,アメリカ国内で道草を食べることは無く,成田行きの全日空機に乗って帰国した。

 

飛行機の中では,当時まだそれほど日本での知名度が高くなかったケビン・コスナーの「No way out」という映画をみたのを覚えている。

 

初めての休暇は,青春18切符をつかって北を目指した。

 

当時は兵庫県に住んでいたので,最寄りの駅から鈍行に乗って日本海側を経由するルートを選んだ。

 

初日は18時頃石川県の加賀温泉という駅に着き,そこからバスで片山津温泉というところまで行って,温泉宿に泊まった。

 

次の日も朝から17時頃まで鈍行を乗り継いで,新潟の長岡駅前のビジネスホテルに泊まった。

 

3日目は秋田の秋田温泉,4日目は青森県の浅虫温泉,5日目に青函トンネルの完成により,廃止寸前であった青函連絡船にようやく乗れた。

 

 

津軽海峡は吉幾三の歌のように吹雪いていた。

 

海峡の真中辺りで青森へ向かう青函連絡船とすれ違った。すれ違う時に,両船がほぼ同時に汽笛を鳴らした。

 

 

吹雪に掻き消されまいと長く響いた両船の汽笛は,利便性と引き換えに消えゆく運命となった者達の慟哭のようにも聞こえた。

 

その後しばらくして,青函連絡船は,80年の歴史に幕を閉じた。

 

私は,5枚つづりの18切符を1冊使って,初めて北海道の地に降り立った。

 

道内の移動も18切符を買い足して洞爺湖温泉,帯広,釧路,網走,名寄に宿泊しながら北上し,家をでてから12日後に本土最北の地,宗谷岬に到着した。

 

岬から見るオホーツク海は鉛のような空を映してどこまでも灰色で,波打ち際を低くカモメが飛んでいた。

 

シーズンオフで誰もいない岬の駐車場に,エンドレスで流れる「宗谷岬」の歌は,春まだ遠い最北の地に物悲しく響いていた。

 

 

流氷とけて 春風吹いて

ハマナス咲いて カモメも啼いて

遥か沖ゆく 外国船の

煙もうれし 宗谷の岬

流氷とけて 春風吹いて

ハマナス揺れる 宗谷の岬  ♪

 

惜別の刻,そんな言葉が何度も頭の中をよぎった「みちくさ」だった。