その猫とは奇妙な出会いだった。
ロサンゼルスの南には、パロスバーデスという半島がある。海辺りの傾斜地には豪邸が並ぶ、金持ちの住むエリアである。昔、矢沢永吉さんも一時期住んでいた。
最南部の海岸には Terranea(テレーニア)というリゾートホテル、リゾートエリアがあり、その東方の海岸沿いには、トランプナショナルゴルフクラブがある。そう、大統領のゴルフ場である。
さて、半島の西側に Lunada Bay (ルナダベイ)という小さな湾があって、険しい崖が切り立っている。その脇をペリカンが三角の群れをなして飛んでいく。
その崖の上は、小さな草原になっていて、近くの住民の散歩道になっている。
Lunada Bay は、太平洋の大海原をを臨む大変美しい場所で、太陽が傾く夕方は崖が赤く染まり、空は美しい夕焼けとなる。遠くにカタリナ島も見える。
時々 Good Year の飛行船が周遊してくる
私と家内はその日、車を草原脇の道路に停めて、散歩がてらその美しい眺めを楽しみながら崖の上を歩いていた。時は2008年11月の頃である。
すると人懐こい猫が近づいてきた。家内は大変な猫好きであるので、抱き抱えて可愛がった。飼い猫らしく、首輪をしていた。
しこたま可愛がって、さあ散歩を続けようとしたら我々についてくる。そしてようやく離れたと思ったら、前から近づいてきた。え、我々をいつ、どうやって追い抜いたのか?
ハイハイ、再び抱えてあげる。
可愛がった後、ジャーね、と別れる。
歩いていると前方を歩く猫がいる。デジャビュか、それとも何とこいつはテレポーテーションを使うのか?
あれ?でもちょっと小さいような感じがする。
追いついて抱いてみると、やはり小さい。振りほどいてそのまま行ってしまった。
そうか!同じ容姿の猫が3匹いるということか。
その後、Lunada Bayに来るたびに、この猫達の首輪をチェックすると、ピンクのハート柄の名前入りペンダントが首輪についていて、"Guenther" "Kay" "Olive" の3匹いることが判った。
Guentherは、欧州風にギュンターと読むか、米語風にガンサーと読むか、家内は最初からギュンターと呼んでいた。男の子の名前だが、この猫は女の子だ。ガンサーはないね。
Kay はケイと読む。こちらは女の子の名前になる。Kay は一番大きいので、多分お母さんではないかと思った。
Olive はそのままオリーブ、こちらも女の子。
野放しの飼い猫達。飼い主の家に帰ることもあるようだ。道路を渡って家に向かっていくこともある。
Lunada Bay に来て、排水溝の近くで呼ぶと、彼らのどれかが、外れなく現れる。
さあ、彼らの人懐こい様子をおさめた写真を見てくだされ。
一番なつっこいのがギュンター
この子はオリーブ
ケイとギュンター
ギュンター
犬にもまったく動じない
ケイ
バックに入るのが好きなギュンター
しばらく、1年くらいは2匹、3匹と現れて戯れていたが、そのうちギュンターだけになった。
ケイとオリーブはどうしたのだろう?もらわれていったのだろうか。
ギュンターは飼い猫の雰囲気が薄れて、排水溝に住み着いた野良猫のようになっていった。
座布団が置かれ、餌は誰かが与えているようだ。相変わらず、穴に住むネズミを察知すると、本能の捕獲体制に入るところが面白い。
Lunada Bay はその急こう配を歩いて海辺に降りることができるルートが数か所ある。
この湾はその地形により、特殊な長い波が発生することから、サーファー達の名所になっている。
大きい波ではないが、長い距離を乗ることができる。
そして波打ち際の岩には、アザラシが乗っかって休んでいることを時々見かける。
崖の下の海岸沿いはごろごろした岩を歩くトレッキングコースにもなっている。
右にどんどん歩いて行くと、かなり昔に難破した船から打ち上げられたトラクターが置き去りになっているところがあり、Shipwreck Hiking Trail と呼ばれている。その鉄板の上にもアザラシが寝ている。
Lunada Bay の近くには、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、数軒のレストランのあるエリアがあり、そこにSaint Honore Bistro Cafe という雰囲気のいいカフェがある。
日曜日にペニンシュラマーケットプレースで開かれる朝市、ファーマーズマーケットでの買い物の帰りに、時々遠回りして朝食をとるために訪れた。
カリフォルニアの青い空、パラソルの下でのモーニングメニューとコーヒーは何とも贅沢な時間だ。
お客はほとんど白人で、皆さん大金持ちなのだろう。乗ってくる車はビンテージのフェラーリ、ポルシェだったりする。うちだって、ビンテージ(ただのオンボロ)フォルクスワーゲンのカブリオーレだ。
名車 フェラーリ・ディーノ
崖の上のギュンター。2011年になると、この子もいつのまにか現れなくなった。きっと誰かにどこかで可愛がってもらっているだろうことを祈る。