最新のWebナンバーは岩出監督の26年を振り返った内容の記事だったが、その中で四年生を出場させる下りはとくに考えさせられた。


9連覇という偉業を達成して、名将という言葉が冠せられるようになったが、その後は従来と比べて低迷が続き、厳しい見方もされるようになった。岩出監督としては不本意であっただろうが、帝京がもつ環境、金銭的支援、有望な選手たちが数多くいた状況で大学選手権初戦敗退は、やはりもがき苦しむ時期があったと捉えられても仕方なかっただろう。

実際に岩出監督も忸怩たる思いで学生たちには申し訳ないと思うこともあったようだ。その中で自身の判断で間違ったと感じたのが4年生を出さなかったことだった。
大学選手権で初戦敗退したときは四年生の数が非常に少なかった。
「やはり四年生を出した方が粘り強く戦ってくれたのではないか…」という思いが胸をよぎったという。

たしかに通常であれば四年生のほうが頑張ってくれるはずだ。なにせ学生最後の年。ここで負ければすべてが終わる状況なら覚悟を決めて奮起してくれる。
下級生は今年はダメでも次の年に再びチャンスはやってくるという考えはどうしてもあるだろう。そうした立場が異なればモチベーションに温度差があるのは当然である。

今年の決勝戦は四年生が6人と増えていた。
これは今年の四年生が努力してくれたことも勿論あるだろうが、四年生の思いを汲んだ結果でもあると思われる。 
ちまたでは同じ実力があるなら四年生ではなく下級生を使う方がいいという考えがある。下級生なら経験を積んで次ぎに繋がるが、四年生ならそれでおしまいだからだ。
しかしチーム全体で考えたときにどうだろうか。下級生を優遇するチームだったら、下級生の時に芽が出なければ、もう頑張ろうという気持ちは萎えてしまう。
しかし四年生になっても重用してくれる可能性があるならば、まだ可能性を信じて頑張ろうと思うし、それがチーム全体の意欲を底上げして、全体の雰囲気や伸びしろが高まる。
必ずしもどちらが正しいとはいえないが、それでもやはり四年生を尊重するチーム作りが肝要ではないかと感じる。

それともうひとつ言及したいのは、名将と呼ばれる人であっても間違えることもあれば、迷うこともあるということだ。
エディー・ジョーンズさんも2015年のワールドカップの時にスコットランド戦に大敗したあとで判断を誤ったと率直に述べていた。
神格化してもちあげられてる人ですら、大一番で失敗を認めている。
結局はどんなに才能ある人でもトライ&エラーはずっとつきまとう。
大切なのは失敗しないことではなく、失敗したら、それを次ぎにどう活かして挽回できるのかではないだろうか。その繰り返しによって栄光が導かれる。