横浜市の中央図書館でラグビーワールドカップにちなんだコーナーが設置してあり、そこでは懐かしのラグビーマガジンを発見した。




1987年8月号で、冒頭は第1回ラグビーワールドカップの顛末をレポートした内容だ。
最新号のラグビーマガジンだと全面的に日本代表の活躍ぶりが紹介されているが、この時は日本代表の惨状にうなだれるばかり。日本最初のチャレンジはホロ苦い記憶となった。




特に問題視されたのが、闘争心の欠如だったようだ。なにやら往年の精神論で批判さてるようにも見えるが…。
しかし今回のワールドカップでも南アフリカに敗退したが諦めずに執念を見せ続けた日本代表が賞賛されていたし、やはり戦う姿勢を最後まで見せてくれることを観客たちは求めているのかもしれない。
初のワールドカップでは日本代表にそうした気概が見られず、紙面によると星野仙一さんが嘆いておられたようだ。32年前の日本のラグビー暗黒時代の幕開けである。



話は変わるが、当時の写真を見るとほとんどのチームのジャージには襟がついており、どちらかといえばポロシャツに近い感じだった。
おそらく材質も化繊(ポリエステル)などではなく綿が主体だっただろう。体にフィットしておらず、緩やかな着こなしだったので相手からすると掴みやすかったのではないかと思う。

▲右の人が後の日本代表監督をつとめられたカーワンさん


▲白いのがオールブラックスのセカンドジャージ。見られることはレア。今でも滅多に見ることはないだろう。この時の対戦相手がスコットランド


それともう一つ面白いと思ったのが、今は亡き明治大学の監督をつとめていた北島忠治監督の「八幡山春秋」というコーナーだった。



インタビューした内容をラグマガの記者が書き直したものだろうが、なかなか興味深いものがあった。
まず、そのほとんどを麻雀に関して熱く語ったものだった(笑)
誇張抜きで紙面の半分が麻雀に費やされていて、麻雀の魅力、麻雀の実績、いかに人生で麻雀をやってきたかを豪語されていた。ラグビーの練習は平均すれば3時間だが、麻雀は相手がいればいつでも出来るからなと!と述べている。




もちろんラグビーに関しても語っており、
「今はBKに力を入れるようになってきて」
と当時はバックスに注力することがトレンド戦術なのだという認識を踏まえ、
「強いFWと速いBKという結論に達したのでしょう」
と述べていたのだが、自分からすると、そもそも強いFW速いBKは当たり前過ぎる話のような気もするのだが。。。
昔は速いFWに強いBKだったのだろうか?

それとワールドカップの惨状を踏まえて85kgはある体の選手がウイングをできるようにならないとダメだと嘆いていた。
今だと当たり前になりつつあることを考えると隔世の感がある。
松島幸太朗が公式だと178cmの87kg。
公式記録は露骨にゲタを履かせるので、それを額面通りに受け止める人はいないだろうが、実際の身長は175ぐらいで、体重もその時々によるだろうけど、85に近い数字はあるのかなと思えば、北島監督の念願はようやく叶ったのかもしれない。


▲上田昭夫さんは、パワフルなFWが強豪チームになるための条件と力説。今だと当たり前過ぎることが発見したことのように列挙されていた