「世界から通貨がなくなって愛で物が買えたらなー」って前に誰かが言っていて

無邪気で素敵な考えだなって思ったけど

もしそんな、愛が物に変わる世界だったら

僕の部屋は物で溢れてゴミ屋敷になってしまうな。

優しいから僕。

とうぬぼれていましたが

今朝母親と父親のやりとりをきっかけに悟りました。

母「ねぇ聞いてよ崇太郎、昨日さ60代くらいの夫婦が、夜、仲良く手を繋いで歩いてたのを見てさ、そういえばなんで手を繋がなくなったの?ってパパに聞いたの!そしたらなんて言ったと思う?」

父「…またその話かよ」

母「手がベタベタして、なんか気持ち悪いって!酷いと思わない?」

父「人の手汗が嫌だから手を繋ぎたくないんだよ昔から、気持ち悪い」

母「本当に神経質~、明日友達と
会うから友達にも言おう~」

父「石原さとみだったら繋ぐよ」

母「でも、若い頃は繋いでたけどね」

父「…」

25年連れ添った仲むつまじい夫婦の微笑ましい光景ですよ。

こういうの見てもむしろ、いとおしく感じる筈ですよ。僕くらいの年齢であれば。

でも、僕がその時抱いた感情は

愛というよりは

限りなく愛よりの不快感。

うん、むしろ殺意。

そしてその後胃もたれみたいになって遅刻しそうになって、玄関で急いで靴を履いたらびんちょーたーん。

パキッて変な音がして靴の中をみたら炭が入ってました。

きっと梅雨だからと父と母のどちらかがブーツに炭を入れておいてくれたんでしょうけど

別に我が家は靴に炭を入れる習慣があったわけじゃないんですよ?

新しい試みをするならなぜ事前に説明しない?

てゆーか、足臭くねーし!…たぶん。

時間もないし一応裏返しにして炭を取り除いたんですけど、

暫く歩いていたらやっぱり足に違和感があって。

駅までめちゃめちゃイライラしながら歩いてたんですけど。

ホームのベンチに腰掛けて僕の乗るはずだった一本後の電車を待ちながら

あぁこれだなって。

悟りました。

この色んな物から引かれて最後に残っている、相手を想う気持ち。

これが愛なんじゃないですかね?

そんなことを思いながら靴を再び裏返しにしたら小さな炭の欠片が出てきました。

僕の愛が物に変わりました。

恐ろしい程レートが低いけど。

でも、せっかくなのでこの現象に名前をつけてみます。

自分を見失いがちな現代人はIdentityの『I』をヒトへの『愛』に変えれば見失わずにすむ気がするので、、、。

『愛デンティティー』

野暮ったさが可愛くないですか?

『愛デンティティー』

次のスターバックスの新作です。

嘘です。



うざい写真だな…。