よく数人でファミレスに行ってピザを頼む事があって、そういう時だいたいピザ大使の僕がピザを代表で頼ませて頂くんですが、
たまに無償にピザを独り占めしたい時があるんですよね。
ええ、勿論僕の仕事がピザを代表で頼むという事、1つの幸せを皆の幸せにピザカッターで分けるという事、それが誰にでも出来る仕事ではなく選ばれた仕事だという事、重々分かっております。
しかし、ときどき金銭的な問題は関係なく、ピザを一人で頼みたい時があります。
苦節18年、私はこれまで、様々なピザをカットしてきました。モッツァレラ、アンチョビ、オニオン、サラミ、もうマルゲリータなんかはガールフレンドです。
沢山のピザと触れ合って思ったのですが、ピザって皆の共有財産的なとこありますよね。
誰が頼んでもピザは皆でつつくものだと。
また、僕はシーザー臨時代理大臣にも任命されているのですが、シーザー(シーザーサラダ)も同じように共有財産化されてるんです。
しかも、僕が頼んでトイレに行っている間に、平気でクルトンが無くなっていたり、ドレッシングのかかってない渇いたサニーレタスだけが残ってたりするんです。
嘘だろっ...と。
もうブルーを通り越してレインボーです。
こうやって、誰かが損をしている横で得をする人間がいます。
カラオケで歌っていると、平気で一番気持ちいいサビだけを参加してくる奴。
自分が山盛りポテトを頼んだのに「すみません、すみません」とジェンガのように慎重に引き抜く横で、三本同時に持っていく奴。
その手で全身を弄ばれるスマホ。
確かに自分が我慢していれば他人には住みやすい世界かもしれない。
で
も、今あるその世界は自分ありきの世界なのではないでしょうか?
教科書にのっている歴史上の偉業をなした人物たちは、皆自分というものを強くもっていた筈。
ピザを均等にカットしながら、「あぁー、サラミがそっちに行っちゃったぁー(泣)」なんていう所で戦ってる人は一人もいない筈。
だから僕は、ついに一歩を踏み出した。
いつもは家族全員で共有財産化されている...ようかん。
僕はそれを一人で買ってきて丸々一個食べてやった。
もう我慢はしない、そう固く心に誓って。
しかし、ようかんの後半戦、美味しいはずのようかんが苦痛に変わっていく。
幸せの直方体が...
幸せの直方体の体積=1600円が....
なんてしつこいんだ!
ラストスパートからなかなか進まない。
途中、なぜ俺はようかんを食べているんだ、方向性を間違っているんじゃないか?という疑問を無視して、無心で。
高橋洋子さんの「残酷な天使のテーゼ」を聴きながら「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ...」って言いながら食べました。
そして、食べ終わった後は罪悪感しか残らなかった。
僕は気付きました。
自由奔放なだけが歴史に名を残すとは限らない。
ナイチンゲールのように人の為に尽くす方向もある。
僕にはそれが向いている。
僕は...ピザ界のナイチンゲールだ!!
だから、これからはどんな不満も歴史に名を残す為のモチベーションにします。
世界で最も笑顔でピザを均等に配分した人として、
「私のサラミ...あげます」というスローガンのもと、これからもわたくし和田崇太郎は邁進します!!