昔の男がくれた指輪を、今朝庭に埋めた。
花も添えてクッキーも添えて、お気に入りのグラスに水も注いで添えたけれど、お線香だけは指輪の為だけに買う気にならなくて、なんだか中途半端なお墓になっている。
「ね、庭に変なものが出来てる」
昼寝から起きてきた今の男が、寝癖のついた頭を撫で撫で、私の元へやってきた。歯を磨くまではキスしてあげないと言うと、とても悲しそうな顔をするので、私は可笑しくなって頬に軽いくちづけをあげる。
「なに、あれ」
「お墓」
「金魚でも死んだ?」
金魚なんか飼った事ないわよ、と私は笑って、指輪のお墓、と告げた。
「指輪の墓?」
「うん。昔の彼氏がくれたの」
昔の彼氏、で彼の眉がぴくんと跳ね上がる。むっとしている唇が、分かりやすい、子供みたい。
昔の彼氏の話で怒っているのか、昔の恋の欠片をまだ大事にしていた私を怒っているのかは区別が付かないけれど、もしかしたら両方なのだろう。終っちゃった話に敏感なのは、いつだって男の方だ。女はヒステリーの理由にそれを使ったりもするけれど、それは相手の気持ちを観察するための材料なだけだもの。
「なんで埋めるんだよ」
「うん?」
「俺もいつか別れたら、お前に埋められちゃうのかな」
変な日本語使わないで、私が人殺しするみたいじゃないの、と笑うと、彼は自分の言った事を繰り返して首を傾げる。あまり、頭は良くない、かもしれない。でもいいの、私はこの人の頭を愛しているわけじゃなくて、育ちすぎた少年のように細く長い手脚や、つるつるに傷一つ無い背中や、筋肉の綺麗についたお腹なんかを愛しているのだから。乳母車を見かけると、走ってでも近寄って、中の赤ちゃんを笑わせる事に全力を費やすところとかね。
「あのね、指輪を埋めたのは、夢に見るからよ」
「夢?」
そう、夢。
昔の男が、近頃ずっと私の夢を占領している。
帰っておいで、まだ愛してる、好きなんだ、もう一度会いたい、ねぇ、ねぇ。
昔好きだった男が甘い声で呼べば、毎晩毎晩呼べば、私だってくらくらする。手を伸ばしたくなる。
でも、駄目なの。
だって、私には今、もっともっともっともっと大切な人がいるから。
「だから、指輪埋めて、ごめんなさいしたの。私をもう呼ばないで、私はもうあなたのところには帰れないわって」
私のキスが欲しくて、歯ブラシをくわえたまま夢の話を聞いていた彼は、話が終った途端にダッシュで洗面所へ行ってしまった。つわり? などと馬鹿な事を想像して、一人笑いしてしまった私の耳に、高く響くうがいの音が届く。
と、あっという間にまた戻ってきて、むかつく! と怒鳴った。
「むかつく! 夢に出てくる男もむかつくけど、お前も腹立つ! 昔の男の夢なんか見てないで、俺の夢見ろよ!」
お子様はそう怒って、唇を突き出して拗ねている。
二才だけでも、やっぱり年下は年下なのね、と変な納得をしながら、私はひとりでにんまりしてしまう。意地悪な気持ちが出てきてしまったのだ。
「あらやだ、違うわよ。もともと夢ってのは、好きな人の夢を自発的に見るものじゃないの。私を好きな人が、うんとうんと私の事を想って、夢の中でも僕の事を考えてくださいって、私の夢に出演するものなのよ。だから、あんたが夢に出てこないなら、私の愛が足りないんじゃなくて、あんたの愛が足りないの」
ちらりと彼の顔を見てやれば、案の定「がーんっ」と吹き出しが入りそうな表情をしている。まるでマンガみたい。表情にどちらかというと乏しい私とは、まるっきり正反対。
「嘘!」
「嘘じゃないもの、だって、私の夢、見るでしょう?」
こっくり頷いた彼が可愛い。そうか、私の夢、見てるのか。
「俺、愛足りない?」
「うん?」
「足りない? 駄目? うんと好きだけど、まだ足りない? どうやって増量すればいいの? 修行とかすればいい? すごくすごく好きだけど、足りないの?」
泣きそうに目を大きくして、眉根も寄っちゃって、悲しい顔をする彼に、私は意地悪が過ぎた事を知る。ごめん、と謝ろうかと思ったけれど、心のどこかでものすごく満たされている自分が居て、素直に謝れなかった。
私、ものすごく愛されてるのか。
そうか。
すごくすごく、好かれてるのか。
それは。
それは、とても、嬉しい。
それは、すごく、幸せ。
「………大丈夫よ、もう指輪埋めちゃったもの、昔の男の夢なんて見ないわよ」
私は自分でもびっくりするくらい優しい声でそう言う。
「それで、今夜からはあなたの夢を見るわ、本当よ、約束する」
だから、手を繋いで寝ましょうね、大好きの気持ちがいっぱいいっぱい伝わるように。小猫のようにまるまって、小犬のようにじゃれあって、二人お互いの夢を見ましょうね。
「本当?」
「本当、絶対約束するわ、指切りする?」
右の小指同士で約束をして、私は歯磨き粉の匂いが残る彼の唇に勢い良く飛びつく。
「その代わり、私の夢もちゃんと見てね、他の女の子出演させないでね」
まかせておいて! とガッツポーズを作る彼に、私は抱きつく。
ねぇ、と甘い声を耳に注いで、私は締まりがなくなってしまった頬に笑顔を乗せる。
「大好きよ」
そう言って目を閉じれば、どんなにアタマのヨワイ彼でもちゃんと気付くだろう。二秒後には重ねられるであろう唇に、私はくらくらした。
大好きよ、夢の中ででも、ちゃんと、ね。