天使が光だという事を、ご存知でしょうか。

わたし達には本来、姿形はなく、ただ輝く白い、もしくは真珠色をした、または明るいオレンジ色の、そんな光でしかない事を。

そのままだと仕事に差し支えがありますので、わたし達は光の入れ物を神様から頂くのです。もちろん、ひとつひとつを丁寧に、神様が創ってくださるのですが、材料が限定されるのであまり多くは製造できません。まず必要なのが、純粋なままこの世のものでなくなってしまった赤ん坊の魂。そして世界中で一番始めに鳴く朝告げ鳳の風切り羽根と、朝焼けの女神であるロージア様がいつもよりほんの少しだけ色を薄めにしてしまった朝焼けの雲、その柔らかなところをひとつまみ。それらをこねて形を整え、神様が天使を作ります。最後の仕上げに、太陽と月と星の輝きでできたリングを四本。それらを両の腕と両の足にはめて、やっとわたし達はでき上がるのです。

けれども、時には神様も間違えた天使を創ってしまう事があります。材料の手違いがあった場合のみで、責任は神様にあるわけではないのですが、それでも失敗の天使ができ上がってしまう事があるのです。たとえば、雨の日の雲をひとつかみ入れてしまった場合ですとか、夜告げ鳳の風切り羽根を使ってしまった場合ですとか。

彼は、どうやら赤ん坊の純粋無垢な魂ではなく、もう成人になりかけていた青年の魂を使われ、できてしまった天使のようでした。

彼。

太陽が沈む雲の端に建てられた、石の城の奥にある、ガラスの檻に入れられている、それはそれは深い蒼色をした翼を持つ天使です。

「ホーリー、ホーリー、薔薇の蕾を数えておいたかい」

「はい、明日咲く数を検討中です」

わたしの名前はホーリー。

まだ名前を頂いたばかりの若い天使です。

若い天使は細々とした仕事をする事になっています。明日咲く薔薇の数を決める事ですとか、明日生まれる子犬の数を決めるですとか。ママになる人間への通知を出すのも仕事です。そのお腹に、小さな生命の種を入れてあげたりするのです。それから、神様が失敗してしまった天使のお世話をするのも、わたしの仕事です。お世話といっても、逃げてしまったりしないように見ているだけで、そもそも天使達は逃げたりしないものなのですが。

「次に降らせる為の雨も作っておきなさいね、それが終わったら自由にしてもいいですよ」

「はい、では雨を作り終わったら休ませていただきます」

先輩天使ににっこり笑って、わたしはけれどももう意識を蒼い翼の彼に向けているのです。

名前も貰えない、失敗作である天使。

彼は、ガラスの檻に入れられて、灰色の布で目隠しをされています。毎年ひとり、もしくはふたり、そういった天使が現れてしまうのですが、彼らはそのまま天使でいさせる事ができないので、処分されてしまうのです。どう処分されてしまうか、ご存知ですか? 彼らはクリスマスの夜に、光の魂を入れ物から取り出され、粉々に砕かれて地上に撒かれ、雪となるのです。だから、クリスマスに降る雪は、あんなにも蒼くて静かで、光り輝くものだといわれているのです。

「ナギ、」

石の城は暗く、光が射さないようにできています。中に閉じ込めた天使が、なんらかの間違いで大きな力を手に入れ、クリスマスの雪になる事を全力で拒んだりしないように。

「ナギ、ナギ、お話をして」

雨をさっさと作り終えると、わたしは逃げ去るうさぎのスピードで蒼い翼の天使がいるガラスの檻まで走ってゆきます。彼を監視する事はわたしの役目なので、彼を逃がさない限り誰もわたしに文句を言うものはありません。神様でさえ。

「ホーリーか、また騒々しい奴だなお前は」

彼は人間だった頃の記憶を持つ、珍しい天使なのです。失敗作だというけれど、わたしには彼の方がずっと素敵な天使に見える。青味がかった真っ黒の髪は短く、尖った顎先と端正な顔立ち。あの灰色の布、彼の目を隠してしまっている小さな切れ端を取り去ってあげたいのだけれど、わたしにはできません。それは、神様に禁じられているからです。もしもこの世界の美しさを知ってしまったら、彼は心安らかに雪になれるだろうか、と言うのです。

彼に天使としての名前はありません。神様がくださらなかったから。だから、わたしは彼を人間だった頃の名前で呼ぶのです。ナギ、と。

「何の話がして欲しいんだ」

「ナギの名前のお話をして頂戴な」

「またそれか」

「またでもなんでも、何度でもそのお話が好きよ」

彼には見えないけれど、わたしはにっこりと笑ってみせます。するとどうでしょう、空気で伝わるのでしょうか彼も、ふんわりと唇を持ち上げて笑顔を作ってくれるのです。

「仕方ないな、ホーリーは頭悪いから同じ話を何度したって覚えられないんだもんな」

「うふふ、なんて失礼な」

「笑うところじゃなくて憤慨するところだよ、ホーリー」

ナギの声は甘くなくてすっきりと重みがあって、夜更けの月、飛行船のようにぽっかり浮かぶあの安心さ加減に似ています。だからわたしは、ナギの声でして貰うお話が、大好きなのです、きっと。

「ナギっていうのは、」

凪って書くのさ、と彼は人差し指をピンと持ち上げて、何もない空間にその字をさらりと書いてみせてくれます。

「夏の朝や夕に、地上と海上が同じ温度になる時があって。そうすると風が止むんだ。とても息苦しい暑さになるんだけれど、奇妙に静かで。それが凪、それが俺の名前」

「ナギは、夏に生まれたのね、夏の、朝に生まれたの? 夕に生まれたの?」

「朝の、どうしようもなく寂しい静かな時間に生まれたらしいよ」

「ひどく暑い空気の中で?」

「そう、母さんが言ってた、暑くて耐え難くて、この子は凪なんだって思ったって」

母さん。

その言葉はわたし達に馴染みはあっても手に入らないものなので、少しだけ羨ましく思います。ナギは母さんの記憶を持っているのです。

「母さんのお話もして」

「母さんの? あんまり覚えてないよ、ああ、でも俺が小さい頃、転んだりケンカしたりで泣いていると必ずリンゴのホットケーキを作ってくれたな。男の子が泣いてもいいのは家の中だけなのよ、外ではどんなに大きな傷を負ったって平気な顔をしなさいって。そういう人だった」

「ナギに、強い人になって欲しかったのかしら」

「本当に強い人は、どこでもちゃんと本気の心で泣ける人の事だよ。俺は強くなれないと分かっていたから、せめて形だけでもって思ったんだろうな」

ホーリー、と彼は静かにわたしの名前を呼びます。

なあに、とわたしも穏やかな声で聞き返します。

「今日分の仕事はきちんと終わらせたのか?」

「ちゃんと終わらせているわ、いつだってちゃんと終わらせてからここへ来るじゃないの」

「そうだけれど。ホーリーはどこか抜けているところがあるから、俺は心配だ」

「もう薔薇の蕾も数えたわ、雨も作り終えたし、後はあなたを、」

見張るだけなのよ、と、わたしは言えませんでした。見張るだなんて。そんな、まるでナギが悪い事をした天使のようではありませんか。

「……後は、あなたの、お話をたっぷり聞くだけだわ、ナギ」

彼は優しく微笑みます。きっと、わたしの言えなかった言葉を、ナギはちゃんと知っているのでしょう。それでもそれを、彼は口にしません。仕方がないな、甘えん坊のホーリーちゃんは、と言うだけなのです。

「母さんの話、もうひとつあった。台風の夜に、俺はあの叩き付ける雨や風が恐くて、どうしてもひとりで寝る事ができなかったんだ。だけど恐いなんて恰好悪くて言えなくて、ベッドの中で震えていると、母さんが来て。言うんだ、ナギ、母さん台風が恐くて眠れないから一緒に寝てくれないかしらって」

なんかすべてを見透かされているようで悔しくて、でも俺は精一杯虚勢を張って仕方がないなって言うんだ。ナギは穏やかな声でそう話してくれます。

「……ナギ、触ってもいい?」

そんな事を聞いているうちに、わたしは堪らない気持ちになってくるのです。そして、ガラスの檻の隙間に手を入れます。ナギ、こっちへ来てよ、と。彼はわたしの声の方へそろそろと近づいて来て、ここら辺かな、と首を傾げます。

「届く?」

「大丈夫」

ホーリー、お前の手は冷たいな、と、ナギの頬に触れたわたしの手をさらに自分の手で包み込んで彼は笑うのです。

「なんだよ、またお前も人恋しくなったのか?」

もう人じゃないんだよ、わたし達は光でしかない天使なんだよ、とわたしは言えないのです。どうしても。彼も、自分が失敗作であるとはいえ天使である事を忘れてはいないと思うのですが、お前も、と言われると、わたしには。何も、言えなくなってしまうのです。

「それともまたなんかやらかして神様ってのに怒られたのか?」

「仕事はちゃんとこなしているもの、寂しくだってないもの、ただちょっと、」

あなたに触りたくなったのよ。

その気持ちがどこから来るのか、わたしには分かりません。

この気持ちに名前があるのかさえも。不思議な気持ちなのです、胸を甘くゆるゆると締め付けるような、痛いのに幸せな、ときめくのに悲しい、この気持ちは。

「ナギは、あたたかいわ……」

彼の頬はすべらかで、優しい触りがします。

「ごめんなさい、あなたの目隠しを取ってあげられなくて」

「なんでお前が謝るんだよ、お前がつけた訳じゃないんだから、謝られても俺だって困る」

「困る?」

「そうだ、だから意味もなく謝るな」

そんな事は馬鹿な女のする事だぞ、と言われてわたしは笑ってしまいます。

「ナギ、」

「なんだ」

「もう行かないと」

わたしがナギの前から居なくなる時、彼がふと悲しそうな表情をするのは気のせいでしょうか。

「ああ、ちゃんと仕事するんだぞ」

「ナギに言われなくてもちゃんとやっているわ。ねぇ、またお話を聞かせて頂戴ね」

「仕方ないな、またしてやるか」

「うん」

彼の頬から離れたわたしの手は、この世で一番悲しいもののような気がしてしまいます。それは、ただの思い込みでしかないのでしょうか。ナギが普通の天使だったら、一緒に仕事をしたりできて、こんな檻越しに話さなくても済んだのかと考える事もありますが、わたしにはどうしても蒼い翼や黒い髪以外の外見を持つ彼を、想像したりする事はできないのでした。

冷たい空気の中で、歌声は真っ直ぐに響きます。冬の夜空の方が、星のひとつひとつがくっきりと見えるように。子供達の合唱は教会の庭で繰り返し響き渡ります。クリスマス会の為の練習なのでしょう。蔦の絡むブロック塀に囲まれた小さな教会は、孤児院も兼ねているのです。

わたしは大きなモミの木がある塀のところにちょこりと座って、子供達を見ていました。彼らにわたしの姿は見えません。時々そういった力のある子がひとりぐらい、わたしの居る場所をじっと見詰めていたりしますが、はっきりと見えているわけではなく、雰囲気のようなものを感じているだけなので、大人達からよそ見をしちゃ駄目よ、と諭されてしまったりします。わたしはその度に、ごめんね、とその子に小さく頭を下げるのです。

神の光を 我らに与え給え

すべての愛を 平等に分け与え給え

無知なる罪を赦し給え

希望の扉を開き給え

すべての者に幸福を

すべての者に愛を

メロディに乗せて歌われる言葉は、子供達の頭ではあまり理解できていないようで、小さな男の子は途中で飽きてしまったのでしょう、隣で歌っている三つ編みのお姉さんに愛って何、と聞いていたりします。

わたしは目を細めて、その男の子を見詰めました。随分甘えん坊らしい彼は、お姉さんから鼻を拭いてもらい、ちゃんとお歌を歌ったら後でおやつですからね、と言われています。

今日のわたしの仕事は、この子達の里親促しなのです。

孤児院の子供達が幸せな暮らしをできるように、本当の親からは何かしらの理由があって捨てられてしまった彼らに、新しい父さんと母さんを見つけてあげるという事はさすがにわたしには権限がなくてできませんから、世の中で子供を欲しがっていそうな夫婦を見つけて、そっと教えてあげるのです。あなた達の人生に、幸せをもたらしてくれる可愛らしい子供が居ますよ、と囁いてあげるのです。それがわたしの、今日のお仕事。

もちろん、いい加減に囁いたのでは後々トラブルになりますし、再び手放されてしまう可哀想な子供が出て来てしまったのでは意味がありません。だから、丁寧にひとりひとりをじっくり見るのです。あの子は寂しがり屋。あの子はしっかり者だけれどちょっと気が弱い。あの子は口が悪いけれど本当はとても優しい。あの子は、あの子は。ちゃんと性格を正確に把握しないと、不幸な家庭を作ってしまう事になりますから、わたしは必要以上に子供達を見るのです。

それにしても塀の上は陽射しが暖かく、冬のわりには心地良く、既に飾り付けられた大きなモミの木は昼間でも美しくて、わたしは幸せになってしまいます。きっとみんなで飾り付けたのでしょう、背の低い位置にたくさんのオーナメントが輝いているのです。

庭先に出された、古いオルガンの音に合わせ、子供達が歌っています。

オルガンは相当古いので、時々音が出なかったりするのですが大丈夫。丁寧な神父様の指先が、もっと丁寧にキーを押し、歌ってごらんとでも言うように優しく弾いてやると、またオルガンは静かに音を立てるのです。

わたしは目を閉じて、子供達の歌を聴いていました。

そして、なぜかナギが今、隣に居てくれればいいのに、と思ったりしました。「……ナギ?」

自分が考えた事に驚いて、つい独り言も言ってしまいます。

「どうして、ナギ?」

だって、彼は蒼い翼の天使です。目隠しをされた、ガラスの檻から出る事なくクリスマスの日に雪になる、失敗作の天使なのです。一緒に下界へ降りる事なんて、天地が逆さまになっても有り得ない。