平安時代藤原氏邸宅、東三条殿再現ジオラマの完成 | Kyotoから創造するARTBOX45°

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 歴史的建造物の模型・ジオラマなど当時の情景を蘇らせることに日々励んでいます。
<ジオラマ掲載例>
2022年 信玄公生誕500年記念歴史ドラマ「信茂と勝頼」(山梨県庁)
2022年 古寺行こう金閣寺・銀閣寺第6号(小学館)
2023年 関口宏の一番新しい中世史(BS-TBS)

宗秀斎です。

 

地元京都では実に3年ぶりとなる7月14日に行われた前祭の祇園祭宵山が行われました。

報道によると14万人を超える人々で賑わったそうです。

 

ちょうど四条烏丸まで行く用事があったので、ついでに遠くから眺めていました。20代の頃まで毎年、友人と夜まで食べ歩きしたものですが、40歳過ぎると足取りが重くここ何年もしっかり見てません(笑)

祭りに参加する人を除いて地元の方はあまり見に行かない傾向があって、僕は通りすがりに雰囲気だけでも味わえば今年も迎えたなという気分になるので、それだけでも満たされている部分が多いかもしれません。

京都らしい風景が久々に戻ってきて嬉しい反面、三密どころでない密集した空間に飛び込む勇気がなかったので、ちょっと眺めて帰宅。毎年、何かしら見てるので今回はこれでお開き^^:

地方ではコロナ感染拡大の影響で祭りを中止するところもある中での開催で賛否両論ありましたが、京都は観光資源で成り立っているので内心複雑です。このような気持ちになることなく平穏な日常が取り戻せたらと願うばかりです。

 

さて、5月上旬から製作を始めて約2ヶ月間費やした平安時代の藤原氏邸宅東三条殿ジオラマがようやく完成しました。以前から日本貴族の住宅に興味があり、平安以降から室町時代そして江戸時代に書院造へと変化する住宅の基礎とも言える寝殿造に焦点を当ててみるという試みです。

 

東三条殿址。

普段歩いていても気づかないこのような場所に壮大な大邸宅が建っていたと想像するだけでもゾクゾクしますね。ちなみに東三条殿と三条東殿は別の建物で東三条殿址から南側へ下った現在の中京区姉小路通烏丸東入南側(新風館前)にあるので勘違いしがちな名称です。こちらは平治の乱で焼失し、平治物語絵巻にその様子が描かれていて歴史の教科書で習った記憶があるくらい有名な建物です。

今日まで研究が進んでいるようですが、未だ実像を掴めていないことが多く様々な復元案が提起されています。これまでに知られている形を参考に進めてみました。平安時代にまで遡らなければならず、そのような資料もなければ現存する邸宅が一切残っていないので想像、推定するしかないのが現状でしょうか。

 

東三条殿。

国立歴史民俗博物館に展示されている模型は塀、庭園全体が再現されています。今回はサイズの問題から周囲の塀など省略した形で木材によるスクラッチ製作しています。主だった建物として寝殿、北対屋、東対屋、東北対屋、細殿、釣殿、渡殿、侍所、車宿となります。屋根は築地塀を除いては全て檜皮葺。今回は周囲を囲む塀、門など省略していますが幅675mm +奥行545mmとこれまで製作したジオラマの中でも大きい方です。

 

庭園正面の南側

東側

西側

北側

 

寝殿部分。

 

侍所、車宿部分。

 

ジオラマ撮影の醍醐味とも言える自然光による屋外撮影に臨みます。

 

正面から見た寝殿と渡殿に繋がる東対屋。

 

左右対称に庭園に向かって長く伸びる渡殿(廊下)が印象的です。

特に難しいのは屋根の反り部分。木材なのでプラ板と違い扱いが難しく試行錯誤しながら曲線を描く工夫に時間をかけました。このジオラマの面積に対して屋根部分を占める割合が高いので特に神経を使う作業です。

見所の一つとなる庭園とそれを眺める開放的な空間を意識した釣殿。

 

ちょっと分かりにくいのですが、小石を敷き詰めた洲浜が数箇所にあります。これは現在の平等院鳳凰堂の庭園にも見られる平安時代の寺院仏閣に見られる浄土式庭園と呼ばれる特徴の一つで寝殿造庭園に浄土式庭園を取り入れたと推測されていて、こちらも実際に池底まで小石を敷き詰めて洲浜を表現し透明感ある水面に仕上げてみました。

 

東北対屋

寝殿などの建物に見られる格子状の半蔀と呼ばれる建具。寝殿造の特徴の一つです。

 

北対屋

 

中門と築地塀を挟んだ侍所。

こちらは当主の家人など警護する役人の詰所として役割を果たした建物。正式な玄関口は東側の門から出入りしていたと推測されています。この建物は室町時代の将軍御所や有力大名屋敷にも度々登場する建物で時代と共に構造も変化していきます。

車宿。

当主や来客者の牛車を収納する建物。こちらも侍所と向かい側に建てられています。

西側の建物

正式な名称は不明ですが、開放的な廊下が特徴ある建物で恐らく西門に繋がる裏口として使用されたものと推測。

写真では分かりづらいのですが、複雑な渡殿(渡り廊下)で繋がっていて建物の内側部分も実際は覗き込んで見ると分かるのですが、デジカメ、スマホ撮影では限界があり折角作り込んだ箇所もお見せできないのが心苦しい…^^:

マイクロスコープを使えば見えづらい箇所もお見せできるので今後のことを考えて導入を検討中。

 

 

平安時代に隆盛を極めた藤原氏邸宅「東三条殿」再現ジオラマ。平安貴族の優雅な暮らしぶりを伝える邸宅として当時の貴族住宅に見られる寝殿造と庭園の景観を意識した今回の作品。このジオラマから少しでも平安貴族文化を触れて頂ければ幸いです。これにて東三条殿再現ジオラマ製作は終了でございます。

 

長文ありがとうございました。