大友宗麟居館/大友館再現ジオラマの完成 |  Kyotoから創造するARTBOX45°

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 歴史的建造物の模型・ジオラマなど当時の情景を蘇らせることに日々励んでいます。

宗秀斎です。

 

先月上旬から製作していた九州戦国大名、大友宗麟の居館(大友館)再現ジオラマがようやく完成致しました。

 

 

大友館全体でなく発掘調査で判明した大友館の中心的な諸建築にピックアップしています。発掘調査により再現されたCGなどを元に木製によるフルスクラッチとして大おもてなど主立った建物を再現しています。

 

 

製作を開始した今年の6月に大友氏館跡に整備され当時の庭園を復元した大友館跡庭園が大分市で一般公開され、史跡名称も「大友氏館跡」から「大友氏遺跡」に変更されたようです。今後の整備計画として大おもてなどの建物も復元される予定です。戦国時代の武家屋敷復元は大変珍しいので今後の推移に注目したいところ。

 

この大友館は一辺200mの不整方形と大規模な敷地を有する居館と推定されており、当時では類を見ない大規模な庭園を備えた壮大な屋敷であったことです。大友館は守護所として建てられた政庁であり、キリシタン大名でもあった大友氏21代当主の大友宗鱗とその嫡男義統まで改修を繰り返し、現在の遺跡に残るような大規模な屋敷へと変貌したことが推測されます。

宗鱗は北部九州6ヶ国の守護に任命され九州探題(九州全体を治める役職)に就いています。ヨーロッパでは豊後王と知られ、名実共に九州の覇者として大友氏の全盛期を築きました。このような転身を遂げれたのもヨーロッパ、アジアなど積極的な貿易を行うことで得た経済力と立花道雪など優秀な家臣に恵まれたことが考えられます。

 

この館で起きたエピソードとして宗鱗の父義艦が家臣により二階の寝室で殺害されるという二階崩れの変が起きます。これは子の宗鱗に家督を譲らず三男に譲ることを知った宗鱗派の家臣により起こった変事です。今回は残念ながら寝所は再現していませんが、当時二階の寝所がどのような姿であったのか?興味を持ってしまいます。余談ですが、宗鱗もその事件がトラウマになり二階建ては建設しなかったかもしれませんね(笑)

 

その後の大友館は大友氏の衰退と共に1586年の島津氏の侵攻により焼き払われたと言われています。今回はそんな九州の戦国大名大友氏の栄華を極めた情景をテーマに進めてみました。

 

それでは再現した諸建築を1つ1つ見て行きましょう。

 

●大おもて

大友館の中心的な建物で儀礼、政治を司る重要な空間。この建物は室町・戦国大名屋敷の主殿によく見られる色代(長い通路で繋がる玄関口)を備えた建物で洛中洛外図に描かれた細川邸にも見られる形です。現在は三井寺の光浄院客殿(1601年創建)現存建築としてその姿を今に伝えています。当時はスタンダードな建物だったかもしれません。

 

●大おもてにつながる遠侍(とおさぶらい)

こちらは館を警護する家臣の詰所。来訪者の出迎えや当主へ取次する場として大おもてへと向かいます。

 

●公文所

一番手前の建物。庫裏(台所)から来る食膳や衣装を整える場と考えられています。

 

●常御殿

当主が日常生活を送る空間。品格を持つ杮葺き屋根の書院造として付書院などを再現しています。

 

●庫裏

茅葺屋根の台所。公文所へ続く長い通路が繋がります。

 

東控の間

隣接する東書院の玄関口。

東書院。

こちらも書院なので付書院を付けています。庭園脇にある建物でこちらから雄大な庭園を眺めていたのでしょうか。

 

●番所

敷地内を警備する詰所。

 

●能舞台

屋内の松の絵も描いてみました。人生初の能舞台ミニチュア。室町時代には能楽が盛んで貴人など訪問者を接待する重要なイベント。能舞台を備えた屋敷は珍しく大友館の特徴でもあります。

 

配置すると隙間からうっすらと見える程度ですが、ここにも小さな拘りが…。

 

●能舞台と楽屋を繋ぐ橋掛かり

京都西本願寺にある現存最古の能舞台を参考に進めてみました。

 

●大おもての小さな堀

 

●中庭

 

●庭園

大友氏館跡に復元された庭園を参考にしてみました。この庭園の特徴は州浜、中島を見立てた景観を意識して造園されたことでしょうか。今まで製作した武家屋敷の庭園では珍しいタイプ。

モチーフにもよりますが、樹木の配置するバランスは神経を使います。武家屋敷の建物はそんなに高くないので樹木が多いとみえづらくなる。かといって少なすぎると見栄えしない。庭園の雰囲気を保ちつつ諸建築の死角にならないよう調整しています。

 

松の木の針葉樹独特の雰囲気を演出してみました。

庭園内からは出土した種子や花粉を分析した結果、クロマツ、ゴヨウマツ、ヤマザクラなど様々な樹木が植えられていたようです。室町幕府花の御所も花が付くように当時は色とりどりの樹木を植える事で景観を楽しむ趣向が盛んだったのでしょうか。

松の木はいいなぁ…

 

金属プレートも大友氏の代表家紋『杏葉紋』入り。

今回も個人観賞用としてコンパクトにまとめた幅600mm×奥行460mm×高さ約150mmサイズです。

それでも幾分大きいかもしれませんが(^^:)

 

以上、建造物の紹介でした。

 

梅雨空の中、貴重な晴れ間に野外撮影へ臨みました。屋内撮影と一緒に紹介致します。

 

Gallery

 
いかがでしたか?
九州地方の戦国大名屋敷を取り上げた大友氏居館ジオラマ。
現在、整備計画が進行中の大友氏遺跡。当時の居館がどのような形であったのか?将来、復元された姿にも注目したいところです。
今回、九州の大友氏を取り上げたさなかに九州地方の集中豪雨により甚大な被害が出ております。被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。気休め程度にしかならないかもしれませんが、このジオラマを通して少しでも喜びを感じて頂ければという切なる願いを込めた作品ともなりました。
この記憶はジオラマと共に決して忘れることはありません。
 
被災地の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
 
これにて大友宗麟居館、大友館再現ジオラマ製作は終了でございます。