京都人の「光る君へ」 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

大河ドラマ「光る君へ」を欠かさず観ている。

 

面白いか?と問われればすこし首をかしげたくなるし、物語は上等ではない。

 

源氏物語はよく知らないが、源氏物語も紫式部に描かれていないと思う。

 

原型さえとどめていまい。

 

ただいままで観たことのない、平安時代を垣間見た気はする。

 

これはタイトルに出てくる平安時代の京の都のCG。

真ん中の道が朱雀大路で、その突き当りが内裏。

 

朱雀大路は今でいうと千本通で、自分が住んでいるのは千本一条というところでこのCGの範囲内になる。

 

内裏のやや左上(北上)に我が家がある感じだ。

 

別に京都人であることを誇っているわけではないが、このCGの中にいまの自分がいるかのような錯覚に襲われる。

 

近所には内裏跡の表示がここかしこにある。

 

1000年前のご近所はCGのような感じだったのかと想像してしまう。

 

ちなみに主人公、紫式部の家はCGでいうと内裏から右(東)へずっといったはずれで内裏から徒歩で40~50分。

 

いまは蘆山寺という寺になっていて、鴨川に近い。

 

自分が通った大学の校舎はその蘆山寺のすぐ近くにあったが、いまは府立医大に売却され、校舎は消えた。

 

その蘆山寺の左(西)隣が御苑(室町以降の内裏=御所と公家邸)で、その御苑の中にもう一人の主人公、藤原道長の家があった。

 

いまは「道長の邸宅跡」という表札があるだけで気をとめる人は少ない。

 

紫式部の家から道長の家までは徒歩でわずか5分ほど、ご近所さん。

 

自分は大学時代、その周辺をよくうろうろしていた。

 

それもなんだか奇妙に思える。

 

紫式部と道長はドラマでは恋仲で紫式部の娘は道長の子供という設定になっているが、実際はおおいに違うし、果たして二人が顔をあわせたことがあったかも怪しい。

 

ただ道長の娘(中宮)に紫式部が仕えている。

 

大学時代には源氏物語への興味など少しもなく、むしろ嫌っていた。

 

権力者も平安絵巻も忌み嫌っていた。

 

いまもドラマを観ると道長ら公家や天皇の贅沢と庶民の貧しさの歴然とした差に憤りすら覚える。

 

つまり貴族社会の能天気なドラマでしかない。

 

「源氏物語」がもてはやされるのも自分にはよくわからない。

 

そんなにすごいのか、すごくないのかわからない。

 

ただ当時は女だからこそ物語を紡げた気がするし、ある意味、自由闊達な発想を持ちえた気がする。

 

後に武士の社会になった故に世の中が窮屈になったとも思える。

 

ドラマを欠かさず観ているのは、京都に暮らす自分にとって、割と身近に紫式部がいた、源氏物語がありえたという思いにとらわれる「時間」の不思議さのなす業だろう。