「みんなどこへ行った」??? | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日、よる7時のNHKニュースを観て、チャンネルをそのままにしていたら「新プロジェクトX」になって中島みゆきの「地上の星」が流れた。

 

歌詞の中に「みんなどこへ行った」というのがある。

 

歌詞全体に興味はなく、その「みんなどこへ行った」だけが耳に残った。

 

以前にも同じことを書いたが、それは自分が18歳か19歳のときの「みんな」だ。

 

もう55年も昔の話で大学の1回生、2回生の時だ。

 

「みんな」はヘルメットを被っていた。

 

デモや集会に参加していた。

 

自分が大学に入ったときには学生運動はピークを過ぎ、下火になりかけていたが、それでも「みんな」はそれなりにいた。

 

東京で大きな集会があったので夜行バスで出かけると1万人ぐらいは集まっていた。

 

それから推察すると全国に数十万人のヘルメット学生がいたに違いない。

 

ところが就職すると「みんな」はどこにもいなかった。

 

学生時代がピークだった1年、2年上の先輩のなかにもいなかった。

 

世間並みの会社だったので世間並?に元ヘルメット学生がいてもおかしくないのにいなかった。

 

自分は労働組合に加入した。

 

そこにいるはずだった。

 

でもいなかった。

 

酔った席で「俺は元活動家」と言い張る人間がいたが、異性の気を惹きたいがだけの偽者だった。

 

「大学解体!」を叫び、絶対自由を求めていたはずの数十万人。

 

自分も含め、熱が冷めると単位をとり、「大学解体」のはずが「大卒」の肩書が欲しくて大学にへばりついた情けない輩。

 

でも自由をもとめる気概だけは消えないはずだった。

 

加川良の「お国のために命をすてない」という教訓を後生大事に抱えていたはずだった。

 

自分はいまでもその「気持ち」だけは残っている。

 

しかし「みんなどこへ行った」だ。

 

「みんな」、出世にこだわり、選挙にもいくし、絶対自由などどこかに行った。

 

パワハラ、セクハラの亡者になった。

 

でとそんなに人の気持ちはかわるものだろうか?

 

若気の至りで済むことか?

 

食うため、生活のために主義主張を表向きひっこめたが、根底にある気持ちは18歳、19歳のときとかわらないと自分は思っている。

 

考え方は自由であるはずだ。

 

赤子の魂、百までではないがいまも自分は18歳、19歳に学んだ考え方に染まっている。

 

「みんなどこに行った」のだろうか?