飯どきのニュース | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日の「京いちにち」(NHKの京都エリアローカルニュース番組)で、「カメムシ」の話題。

 

大量発生しているので注意を呼びかけ、対策を伝えているが、こっちは「飯どき」だった。

 

何度も何度も臭いカメムシが登場すると堪忍してほしいと思う。

 

ときどきこうして「飯どき」を考えず、「汚い」映像を流すことがある。

 

考え方ひとつで、実際のカメムシを出さずにイラストにすれば観ても不快にならない。


カメムシの話題をするな、と言うのではない。


生のカメムシの映像はいらないということだ。

 

たぶん制作し、放送するNHKのスタッフは「仕事中」なので「汚い」映像をみても苦にはならないのだろうが、作る側ではなく、視聴者側の気持ちに配慮すればカメムシをみせる必要はない。

 

夕方のニュースは飯どきの放送であることは当たり前だ。

 

昔は、たとえば交通事故のニュースで被害者の血痕などが生々しく流れた。

 

最近はそんなことをしない。

 

しなくていいし、してはいけない。

 

意味がない。

 

飯どきだだからではなく、そんなリアリズムは必要ない。

 

気色わるいし、被害者のことを考えても可哀そうで嫌だ。

 

容疑者が手錠をかけられて「引き回される」映像もみたくない。

 

手錠をかけられた映像は警察がわざとメディアのために「用意」したものだと思う。

 

容疑者をどこそこへ送致する時間と場所(警察署の裏口)を教え、わざと撮らせている。

 

メディアは手錠にモザイクをかけているが、そんな映像はいるだろうか?

 

まるで江戸時代の「見せしめ」である。

 

「悪い奴はこんな顔をしている」「犯罪者はこんな目にあう」という見せしめ。

 

もし冤罪だったらどうなるのか?

 

テレビの映像は生々しさを伝え、新聞の言葉よりわかりやすい。

 

しかしだからこそ、そのままみせていいのかを配慮すべきだ。

 

政治資金の規制云々などで、汚い政治家の顔などみせられたら飯もまずくなる。

 

もっともテレビを観ながらの食事も考えものではある。

 

つれあいとの二人暮らし。

 

長い付き合いとは言え、食事時は話が一番、弾むとき。

 

つまらない話題でも「話す」ことは大事だと思う。

 

飯どきはテレビを消すか、と思う。