政治的陰謀に真相はない | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

おととい、NHKスペシャル「未解決事件 下山事件」(再放送)をやっていた。

 

1949年、国鉄(今のJR)の下山総裁が轢死体で発見された。

 

誰の犯行か、いまだ不明とされる。

 

当時、国鉄は10万人の国鉄職員を解雇する方針をとっていて、組合と激しく対立していた。

 

総裁を憎んでいたのは組合ということになり、実際に組合員がやったか、あるいはそう仕組まれたかの二つに一つで、いうまでもなく後者である。

 

NHKスペシャル「未解決事件」では下山事件以外にも未解決事件を扱っているが、たとえば「グリコ森永事件」「帝銀事件」などはまさに「未解決」と呼べるが下山事件を「未解決」と呼ぶべきかは問題だ。

 

下山事件はいわば政治的陰謀である。

 

権力が遂行したことで、どこまでいっても隠されたままであろう。


真実は白日の下には晒されない。

 

しかし真相ははっきりしている。

 

1949年、日本はまだアメリカ占領下にあり、アメリカとソ連の冷戦が始まったばかりである。

 

ソ連が主導する共産主義=社会主義運動が日本では盛んで、組合はその影響下にあった。

 

だから組合員が下山総裁を殺したという筋書きを作れば国民を「反共」に呼び込めるというアメリカの思惑があり、実際、そうされた。

 

そこまでははっきりわかっていて、誰が実行犯かが浮かばないだけだが、そこまでわかれば「未解決」ではない。

 

アメリカの政治的思惑のもとで、旧日本軍の怪しげな連中(中野学校出身者ら)が手を下したのもほぼ確実で、それをわかっていながら占領下の日本の検察は手を出せなかった。

 

いや占領下でなくても政治的陰謀に検察は無力だ。

 

いまも事情は変わらない。


殺人でなくても政治は闇そのもので真実は明白にはされない。

 

NHKは下山事件をドラマ化するなかで実在の担当検事を主人公にし、真実を追求する正義の人のように見せているが、実際は、本当のことがわかっていながら目をつむった政治的陰謀の加担者だったと思う。

 

追求できなかったのではなく、わざと追求しなかったのだ。

 

1949年には「三鷹事件」「松川事件」などもあり、国鉄の列車が暴走したり、転覆させられたり、それらは組合員の犯行とされ、不当逮捕もされた。

 

同じ政治的陰謀である。

 

それを「未解決」という言い方をするとまるで真相がわからないというニュアンスになるが、真相ははっきりしていてただ「ぼんやり」しているだけだ。


政治だからだ。


闇から闇に葬られる。

 

ドラマの中で検事が「損をするのは民衆だ」とか「民主主義」という言葉を口にするが、検事は権力の側にいて「民衆」も「民主主義」もない。

 

個人的犯罪なら検察、警察は真相をつまびらかにするが政治的犯罪はしない。

 

それだけだ。

 

下山事件から75年が経ち、冷戦も共産主義(社会主義)も終わった。

 

事件の底辺がないのだからいまさら真相がどうのと騒いでもまったく意味がない。


ただのお遊びで検察=正義のヨイショに過ぎない。