狂信に意味などない | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

およそ50年前に、企業爆破事件を起こし、指名手配されていた男が自ら名乗りでた。

 

ただ重篤で指名手配された人物かどうかの確認は難しいらしい。

 

昨日、「サタデーステイション」でコメンテーターのNHKの元記者が、容疑者は自分自身と同い年(70歳)で、学生運動が下火になってそれを巻き返そうとして過激な活動が行われた時代に起こった事件だというようなことを短く説明をした。

 

あまりにも不十分にすぎ、なにも説明していないに等しい。

 

次に元記者はもし彼が本当に指定手配の容疑者なら「真実」を語るべきだと述べた。

 

意味がわからない。

 

犯行の真実を語ってなにか意味があるのだろうか?

 

容疑者がこれこれこういう理由で罪を犯した、仲間は誰と誰だと白状することで、たとえば遺族が心安らかになり、あるいは今後、このようなことが起こらない「予防」になるというのか。

 

70歳ということは1953年か54年生まれで、自分より3歳年下になる。

 

自分が大学に入学した1969年に当時流行った学生運動はピークを迎え、そして急速に衰退した。

 

彼らはそのとき高校1年生だろうし、その現実を知らない。

 

自分は学生がヘルメットを被り、角棒や投石、あるいは火炎瓶で機動隊とやりあった現場をみているし、実はそこに参加している。

 

おそらく容疑者も元記者も当時、ニュース番組ぐらいでしかその現場を知らず、政治的には無関心だったに違いない。

 

1971年ごろに大学に入学したと思われる彼らの前にはもはや学生運動はその残骸しかない。

 

おそらく容疑者は数少ない残党にオルグされて、遅れてきた活動家になったに違いない。

 

「東アジア反日武装戦線」(名前に笑ってしまう)と名乗った彼らは、多くの人間による抗議活動が不可能になった時代に、自らをゲリラと称し、少数で目立った行動をするしかなかった。

 

そうでしか世間をあっと言わせられない。

 

角棒・投石・火炎瓶は爆弾・銃に替わり、殺人という犯罪へと変貌した。

 

そこになにがあるかというと彼らが目指した革命とは無縁の人殺ししかない。

 

革命は簡単に言えば「いい世の中」に作り替えることである。

 

自由で平等な世の中にすることである。

 

しかし自由で平等な世の中と、いくら世の中をひっくり返す手段とは言え、無差別殺人は矛盾する。

 

つまりそこには狂信しかない。

 

それが彼らの動機の「真実」で、そんなことが容疑者の口から語られたとして、だからどうだと言うのか?

 

誰も納得はしない、できない。

 

狂信は狂信、妄想は妄想でしかなく、正論はない。

 

容疑者は真実を語るべきだという理屈はおかしい、

 

キックバック問題で議員に「真実」を語れというのとは訳が違う。

 

もし自分たちが真実を知るとしたら、人は狂信に走るということだけだ。

 

信じられないことをやらかすということだけだ。

 

1970年前半以降、学生運動は消滅した。

 

彼らのような過激な行動が学生運動に端を発しているとわかって、学生運動自体がアレルギーとなった。

 

元記者はそういうことを解説すべきだったが、彼はそういう経緯をしらないのだろう。

 

本や他人から聞いたことだけでいい加減な、安易な説明しかできない。

 

勉強不足というかなにもわかっていない。

 

そんなのがテレビ局のスタジオの椅子にふんぞりかえてコメンテーターと呼ばれている。

 

それはなにか狂っている。