みっともない、頭悪いね記者 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

「頭悪いね」議員が昨日、議員辞職願を提出したらしい。

 

キックバック問題で記者に質問され、起訴されているので質問に答えられないと言い続け、しつこく食い下がる記者に「頭悪いね」と述べた議員だ。

 

そのときはすごく傲慢でこの上なく、嫌な爺に思えた。

 

その思いはもちろん変わらないが、昨日の会見で、傲慢さは質問した記者にも感じた。

 

昨日の会見に「頭悪いね」と言われた記者も出席し、「わたしに対して頭悪いねという発言をされました」と述べ、その声がテレビで流れた。

 

あたかも勝ち誇ったかのように聞こえ、正義感丸出しのアピールが嫌味に聞こえた。

 

頭が悪いな、この記者は、と思った。

 

そんな声をあげない方がよかったと思う。

 

記者だから記者会見に出席するのは当然としても「それは俺だ」と言わんばかりに自己主張する姿は気持ち悪い。

 

同席した記者たちは誰が言われたか知っている。

 

それをわざわざ「俺だ」と言うのは、俺が質問したことで「頭悪いね」という言葉を引き出し、辞職まで追い込んだと言っているようなものだ。

 

「どうだ」という感じだ。

 

しかし当該議員が辞職をしたのは、自民党を離党し、高齢でもあるし、辞職は潮時と思ったからで、一記者への謝罪からではない。

 

昨日の会見では「配慮が足りませんでした。すみません、撤回します...すみません」と記者に謝罪している。

 

これが本気で謝っているわけではないことは明らかで、表面だけがそう見えるのは、会見そのものの茶番、愚かしさを表わしている。

 

当該の記者は政治(部)記者であり、政治家の傲慢さをしらないはずがない。

 

政治の汚さを知らないはずがない。

 

政治記者は、ネタ欲しさに政治家に近づき愛想を振りまく。

 

政治記者と政治家は「お友達」で結託している。

 

なのに正義を振りかざし、「どうだ」というのは、醜い。

 

ある意味、議員を辞めるのにわざわざ謝罪した(表面的であれ)当該議員のほうが潔くみえる(弁護していないが)。

 

勝負で言うと謝罪した議員の方が、最後に記者に勝ったように見えた。

 

そのことに記者は気づいていないだろう。