いろいろすっ飛ばして出す結論と何なら最初から全てすっ飛ばしても良かったんじゃないかという気分
そろそろ飽きてきたのでいきなりだが、
やっぱり「光画部」なんて幻想でしかなかったんだというのが結論。
そもそも「光画部幻想」には「いつまでも続く」という要素が不可欠なわけで、
そんなものが現実にそうそうあるもんじゃない。
「究極超人あ~る」という漫画の中でさえ、最後はその部分で破綻したんだし。確か。
あとは箇条書き。
●すごく薄っぺらい結論になったけど、当然省略しまくり。冷静に考えたらそうせざるを得ないでしょう。
●「究極超人あ~る」は当時相当の影響を与えた作品であることは間違いないのです。
時々あるでしょう。そういう漫画とかゲームとかアニメ。
いまだにその幻想と呪縛を解き放てない人が多いとか言われたりする。
●何とか幻想から脱したいという気もあって今回一連のことを書いてみた。
読んでいる人がいるのかもわからないけど、やっぱり人前に出した方が臨場感でるし。
動機は学生時代を一度総括して健全に社会に出ましょうということ。
影響された世代にとって最も象徴的なのがこの漫画だから前面に押し出した。
●ここに書いてあることとかぶり過ぎなのは前に読んだことあるからかと。
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/r.html
●「ハチクロ」と「げんしけん」は展開次第でそうなるかもしれないけど、
「光画部」脱却を扱う作品ってあまりないんだよなあ。知らないだけか。
一方で「セカイ系」脱却は結構出ていたりするけど。
そういえばFF7ACはどうだったんだろう。
●実は、小学生の頃に一度読んだ以降「究極超人あ~る」を読んだことがない。
今読み返したら全然違ったりするかも。なので、そういう部分で突っ込まれると困る。
●読んだのは友達のうちで、徹夜で格ゲーしていた頃だから90年代には入っていたと思う。
一度読んだだけでこれほどまで影響受けているという事実は何かの指標にはなるかと。
●このブログは停止します。
エントリタイトルの字数制限うざいし。アメブロ重いし。
やっと書けた「サユリ1号」の感想とそこから沸いた「リアリティ」と「幻想」との間にある差への実感
ちょっと話をずらして、今日は漫画「 サユリ1号
」の感想でも。
「光画部」を持ち出すより別の切り口から感想書いた方が的確なんだろうけど敢えて持ち出す。
この漫画の感想を何度か書こうとして失敗した経験を踏まえ、
こういう切り口なら書けるだろうということでもある。
「ハチクロ」の前半って、「光画部幻想」に限らず、
サークル内恋愛事情の一つの理想形だと思う人結構いると思うんだけど、どうなんだろう。
まあ、抜け駆けする人がいないという要素は「光画部」的には重要か。
その点、「サユリ1号」では抜け駆けも普通にあり、理想の対極にある漫画と言える。
だからかは知らないけど有り得ない話にしては「リアリティ」を感じたりもする。
この漫画の舞台は、
京都のとある大学の「大学デビューしそこないの中途半端な男が多い、あいまいなサークル」。
そこに「そういうサークルの真ん中に大抵いる、純度が高く思い込みの強い女」が大嫌い(大好き?)な悪女が現れ、
男どもを誑かしてサークルをめちゃくちゃにしたりという、どろどろした話。
誑かし方が重要な気はするがそこはあまり触れないかも。
私が思うに、この漫画で一番「光画部幻想」的に爽快な点はこの悪女の言動。
幻想とは対極で、むしろ現実に隣にいたら邪魔なやつらを精神的に追い詰めていくわけだから。
そもそも、「大学デビューしそこないの中途半端な男」という設定が「光画部幻想」の対極。
なぜなら準オタク系で文科系のぬるいサークルがそもそも「光画部」の基本条件なのだから。
悪女がこういう勘違い男を手玉に取る様がまず爽快。
「そういうサークルの真ん中に大抵いる、純度が高く思い込みの強い女」なんて、
この説明だけではイメージしづらいだろうけど、「光画部幻想」からしてみたら邪魔でしかない存在。
場違いな理想と、周りに配慮のないやる気をもっていたりしてぬるくないから。
4巻の、「純度の高さ」と「思い込み」を悪女が砕いていくシーンはただすごいと思った。
蛇足だけど、男が好きになるのは悪女の方なんだよな。
いや、そう思わせるところがこの漫画のすごいところだと思う。これに関しては「光画部」とか抜きで。
ここまで書いた感想が意味のない結論になってしまった。
「光画部幻想」と現実生活の記号的一致と、それでも結局「光画部」は不完全で終わるという結論
昨日は、うちのサークルは「光画部」だったのかということを書いたけど、
実際にはこういう「光画部」への幻想って、あのノリを実践することではなく、
あくまで自分達なりの「光画部」をぬるく過ごすということなんだと思う。
ここで重要なのは、例えば「光画部」を自分達で構築するとかの能動的な部分があまりないところ。
この辺は今回飛ばすけど。
では、何が「光画部」なのかという所で取っ掛かりになるのが、
「究極超人あ~る」に限らず当時の学園モノから続いてきたいくつかのキーワード。
すぐ思いつくのは、「終わらない放課後」、「文化祭の前日」、「夏休みの終わり」とか。
これらが現実の生活に記号的に合致すると気分的には「光画部」っぽくなってくる。
でまあ、自分達もこれらのキーワードに近いこと送ってきたと思う。
次の日の午後までだらだら続く「放課後」とか、
年に何回もある「文化祭」とそこで何度も繰り返された「祭りは準備が面白い」「今年もあと何日で祭りが終わる」という会話とか。
「夏休みの終わり」(=卒業)的な雰囲気がサークルに蔓延したことはあまりなかったけど、
個人的に浸っている人は何人も見てきたし、こんなこと書いている自分もそう。
それと、卒業したのにサークルに来るたくさんのOBや、
いつまでも大学を出ない人、入り直す人とかの存在(自分もそういう人間の一人だが)も完全に合致する。
これも気分的に大きかったと思う。
冷静にみたら「ぬるい共同体から抜け出せない寂しい人達」ぐらいに思われるのがオチなのは明らかで、
実際にうざがっていた人はいたのかもしれないけど。
(世代的に、セカイ系な人達は「光画部幻想」に嫌悪感を抱く傾向があったりするそうです。)
自分的に意味のない合宿も楽しかった。
楽器持っていかない合宿に意味あるのと当時聞かれれば、意味があったら行かないと答えただろう。
こんな感じで、ある意味幻想との合致をみせるサークル生活ではあったが、
でも、「光画部幻想」は幻想というだけあって現実とは異なったのだった。つづく
「光画部」への幻想を抱く文科系サークルは、ここまでは容易に辿り着いたんだろう。
でも、20年続いた歴史を見て、未だに幻想から抜け出せない大人が数多く存在することを考えると、
もう結論はでているような。
僕は学生生活で光画部という「楽園」を体験できたのかという観点における学生生活のまとめに向けて
本エントリは内容が非常にオタク的ですが、
学生生活をサークル活動中心に自分なりにまとめてみようという話です。
まだ何年かあるけど、「夏休みの終わり」とか言うやつの準備と言えます。
専門用語が気になる人はwikipediaかgoogleでも見てください。
最近読んできた漫画であるところの「 ハチクロ
」と「 げんしけん
」、
美大とオタクという表面的な違いがあって読む人を選ぶ漫画ではあるけれど、
私等の世代が2作品に共通してそこに見てしまうのはやっぱり「 究極超人あ~る
」なのだと思う。
本当は、この漫画が絶大な影響を与えた世代は自分等の世代より一回り上で、
私の世代なんかはもろ セカイ系
世代なわけだけど(エヴァンゲリオン放映時に14歳)、
私は小学生の頃にこの漫画を読み、
登場人物の名前とか全然覚えていないけど取りあえず強烈だったという印象をずっと持ってきた。
今思うと、オタク第三世代を形成した時代のアニメ(エヴァとか)をことごとくスルーしたのは、
そういう体験があったからなのかとか思ったりもする。
つうか、隣で一人妄想してセカイ系やっている奴がいると、
「光画部」(この漫画で舞台となっている部活)が成立しないというもどかしさは高校時代からあったような。
まあ、自分個人の話はどうでもいいんだが、
このサークルに来たとき「光画部」を思い起こしたのは確かだった気がする。
サークルの強烈な昔話とか、もうまさにそう思えた。
「○○時間」(○○にはサークル名が入る)という用語が、
実は光画部用語であることに気づいたか教えてもらった時には先人達の願いと幻想が見えてきた。
でも、何か違ったんだよね。
でも、他人の議論や考察に出てくる記号的な部分は良く当てはまっていて「光画部」だったとも言える。
で、ちょっと考えてみたいけど、オタクに関する本とか全く読んだことないので、
あまり深い考察にはいたらないかもしれないです。つづく
そういや、今日鳥人間コンテスト見たけどまさに対極だな。あれは。
ぬるい大学サークル漫画「げんしけん」
アフタヌーン連載の漫画「 げんしけん 」に嵌りました。そして抜け出しました。
「げんしけん(現視研)」とは現代視覚文化研究会の略で、
写真部に対して「 光画部
」があるように、漫研やアニ研に対し存在するサークルのようです。(筑波大に実在)
この漫画はそんなサークルのオタク達の活動や生活を描いたものなわけですが、
その中身は非常にぬるく、大学というより高校の部活みたいな雰囲気が何とも言えないわけで、
そんな学生生活への憧れと懐かしい気持ちで心地良い漫画です。
まあ、昨日はBOXでだらだらギャルゲーやっていたわけですが。
ちなみにこの漫画は、
一般人から見た偏見まみれのオタク像が電車男であるなら、
オタクから見たオタク像を妥協できる程度に描いた漫画がげんしけんである。
みたいなことを言われたりしているような気がちょっとします。
あと、6巻(初版のみ?)にプロの漫画家が書いた「げんしけんの同人誌」が付いているのですが、
久米田康治や桜玉吉など錚々たる顔ぶれが書いています。
こんな所にはやっぱり顔を出す久米田というか、何で書いたんだお前っていう桜玉吉というか、
作者や出版社がはっちゃけている様子は何となくわかっていただけるかと。
漫画の中身はあまりはっちゃけていないんですけどね。