エンデ「モモ」  | くにたち蟄居日記

エンデ「モモ」 

久しぶりに本書を読み返した。還暦を迎えた時期に本書を読むと、若い頃の読後感とはまた少し変わったものがある。仕事の現役を一歩退いた地点から本書を読むと、まさに自分自身が時間貯蓄銀行に囚われてきたことを痛感させられるからである。

 

 本書は童話仕立てであるので、第一義的には子供が読むようになっている。但し、ここが面白いと僕は思うのだが、まだ大して社会に出ているとは言えない子供の世代が本書を味読することができるのかどうかは定かではない。還暦の自分から見ると、本書の怖ろしさは子供には分からないとしか思えない。作者もそれを分かった上で、敢えて童話にしているのはなぜなのかを考えることは本書を理解するにあたっての一つの切り口なのだと思う。

 

 勿論、エンデは子供たちに物語を「刷り込もう」としているとも言える。本書は児童文学としては十分に面白い筋立てであるので、子供たちは喜んで本書を読むだろう。本書のテーマは実際には難解であるので子供たちがロジカルに理解する訳ではないと思うが、皮膚感覚として時間管理銀行や灰色の男達への懸念や疑問は刷り込まれるとも思う。そんな児童期の「刷り込み」が、子供たちの将来に何らかの影響を与えることが出来るというのは、一つの戦略であり戦術でもあると言える。

 

 但し、エンデが本当に想定している読者は子供たちだけなのだろうか。むしろ、大人達ではないのか。日頃色々なものに縛られている大人達を油断させ、その胸襟を開かせるために童話という設定を採用し、迷い込んできた大人達に対して非常に厳しく痛烈なテーマを投げかけているのではないか。そう考えると還暦となって読み返した僕は、やや読み返しが遅かったのかもしれない。そんな反省を少し強いられたところだ。

 

 本書でエンデは時間貯蓄銀行と灰色の男達を「抹殺」している。その「抹殺」に際しては十分な暴力性もあることは見逃してはならないと僕は思う。「モモ」とは色々な意味で暴力的な本だと考えることが本書を正しく読むことに繋がる。エンデが「暴力」を使わなければならなかった理由を考えることが次の課題となろう。