「魔法使いの弟子」を聴きながら世界を憂うということ | くにたち蟄居日記

「魔法使いの弟子」を聴きながら世界を憂うということ

散歩の際に音楽をシャッフルで聴いていると「魔法使いの弟子」になった。久しぶりに通して聴く機会となった。

 

 「魔法使いの弟子」はディズニー映画の「ファンタジア」で有名になった交響詩である。

 

魔法使いが弟子に自分の留守中に水汲みを命令する。

 

弟子は覚えたての魔法で箒に水汲みを指示する。箒は忠実に水を汲み続ける。もう十分に水が溜まったので弟子は箒に水汲みを止めるように指示するが箒は止めない。

 

焦った弟子は箒を斧でバラバラにする。するとバラバラになった箒は更に水汲みを続け、部屋は洪水となってしまう。

 

そこに魔法使いが戻ってきて魔法で箒の水汲みを止めさせ、水を消滅させる。そして弟子を叱責し、再度水汲みをやらせる。

 

こんな話だ。この物語から、今日の情勢を踏まえて、何を学ぶべきなのかを考えた。

 

 未熟な弟子が魔法を使うことの危うさというものは直ぐに思いつく話だ。今日の世界を見ると、その魔法を「兵器」であるとか「核兵器」と置き換えることも出来そうである。今の世界のいわゆる指導者たちの横暴ぶりの一つの原因が「核」という危うい「魔法」をもてあそぶことが出来る点にあると言っても良いだろう。

 

 但し、僕としては更に次のような教訓を「魔法使いの弟子」は語っていると思う。即ち「一旦解き放たれた魔法とは止めることがとても難しいものだ」というような話である。

 

 「始めることは簡単だが、上手く終えることは案外難しいものだ」という話はよく聞く話である。日本の場合であると、太平洋戦争等も典型的な例だろう。「日本の一番長い日」といった本や映画を観ていても、いかに太平洋戦争を敗北という形で終えることが難しかったかは良く伝わってくる。

もしくは企業経営においても、いかに事業撤退が難しかったかというような例はいくらでもある。

 

 ではなぜ「上手に終えることは難しい」のか。僕の会社のかつての上司は「慣性」という言い方をしていたのを思い出す。要は物事が動き出すと、動き出した方向に対して「慣性」が発生し、止めようとすると相当のエネルギーが必要になってしまうという話である。

 

 今の世界には「むきだしの力」を志向する強い「慣性」が発生してしまっているのではないか。未熟な魔法使いの沢山の弟子達が、コントロールの効かない「魔法」をかけ合い始めていないだろうか。そうだとしたら、我々は弟子達を抑え込む「大魔法使い」を待望し始める日も近いということはないか。デュカスの軽快な交響詩を聴いていて、そんな想いに囚われた。