日の下にあたらしきものはなし | くにたち蟄居日記

日の下にあたらしきものはなし

 世界が本当にきなくさくなってきた。

 

 当たり前のことながら人類の歴史はきなくささの歴史である。そういう意味では、このところの

世界の動きを観ていると自分自身も歴史の中に生きているという実感が沸いてきた方も多い

のではないだろうか。「昨日の延長が明日になる」という平坦な感覚を持つ間は「歴史とは

読んだり聞いたり観たりするもの」だった。「明日はいったいどうなるのか不透明」という状況

となると俄然「歴史とは自分で生き抜くもの」に変わってきている。これは僕の全くの個人的な

私見ではあるが。

 

先日諏訪大社を訪問して驚いたことがある。大木・巨木が数多く残されていることだ。人間が

立てる御柱も含めて樹木信仰と言えるのではないか。かような樹木から見ると、今のきなくささ

も目新しくないのかもしれない。「日の下にあたらしきものはなし」とは旧約聖書の「コレヘトの

言葉」にある一文だが、巨木たちもかようにのっぺりと思っているのかもしれない。