「神学でこんなにわかる『村上春樹』」 佐藤優 | くにたち蟄居日記

「神学でこんなにわかる『村上春樹』」 佐藤優

 年末年始の日本で読了した。面白かった。

 

 本というものは発刊された後は「一人歩き」するという。本は、著者が意図した「読まれ方」とは全く別の

「読まれ方」が出てくることも許されるべきだという意味だ。それを少し突き詰めると 「読書する」という

事はどういうことかを考えるヒントになる。

 

 本を読むということは何か。著者が本を通じて僕らに迫ってくる「著者の想い」や「著者が提供

したい情報」を読み取ることが第一義である。

 一冊の本というテクストは万人に対して記載内容においては同一だ。万人に対して、たった一つの

テクストがポンと渡されるだけである。但し、万人がどのように「読み取る」のかは千差万別である。

その「読み取り方」において、各々の読み手の経緯、環境、能力、意向が強く作用する。その結果

「読まれ方」もいくらでも出てくる。それが「一人歩き」の意味だ。本書を読んでいて僕は終始

そのように感じた。

 

 本書において、佐藤は自由自在に「騎士団長殺し」を読み解いている。その「読み取り方」は

時に快刀乱麻であり、神学に疎い僕には大変勉強になった。

 では村上春樹自身が読んだらどのように思うのだろうか。それを想像することは楽しい事なのだと

思う。

 

 村上春樹がどこまで神学に詳しいのか僕には分からない。佐藤の上手な解説に乗っかっていくと

村上はとても神学に詳しいようにも思えてくる。だが本当にそうなのか。その「佐藤の上手な解説」

こそが、佐藤が企んでかけた魔法、ないし、呪いなのではないか。そのように思い始めると本書は

十分に迷宮と言える。本書を迷宮ではないかという「読み取り方」も、また自由な訳である。

 

 面白い一冊だ。佐藤の「誤読と紙一重の精読」という言い方が僕にとってはフェアーな表現だ。