「限界から始まる」 上野千鶴子・鈴木涼美
上野千鶴子と鈴木涼美の対談である。面白くない訳がない。
本書を読んでいて常に「本書を男が読む事とは何か」を考えることを強いられた。男性が
本書を理解することが果して出来るのか。それを絶えず問われる思いがした。
鈴木は高校時代のブルセラ時代に男性の醜悪さを見たことが彼女の原点であった様子だ。
「醜悪」という言葉は少し品が良い表現かもしれない。「阿呆らしさ」とでも言った方が良い
のかもしれない。高校生の下着を買って品の無い自慰行為に及んでいる男性群をマジックミラー
越しに見た際に鈴木は男に絶望したという。絶望の余り、逆に鈴木はAV女優になる道を
辿る羽目になったようだが、そんな彼女の経緯を一体男たちはどのように読めばよいのか。
上野にしても自分が「肉体と精神をどぶに捨てるようなセックスをしていたころ」という
ような表現を本書で繰り返している。男も「肉体と精神をどぶに捨てるようなセックス」を
するだろうが、上野が捨てている「肉体と精神」と男が捨てている「肉体と精神」とは
おそらく大きな違いがある。そういえば昔は「童貞を捨てる」という表現もあった。
「童貞」が男にとって「肉体と精神」だったのかもしれない。
そんな二人の激論を果たして男が理解できるのだろうか。僕はある意味で本書を
読んで絶望した。皮膚感覚で到底分からないと思った箇所がいくつもある
からである。
但し「到底分からない」という認識を一つの出発点とすることは可能である。むしろ
「分かった気になっている」事より余程良いという考え方の方が正しい。分からないもの
は想像するしかない。本書はかような想像力を男性読者に与える極めて親切なガイド
ブックであるとも言える。上野と鈴木という希代のガイドが体を張って教えてくれている
姿には強い清々しさがあった。