映画「ジョーカー」  | くにたち蟄居日記

映画「ジョーカー」 

 読んでいる「無理ゲー社会」の中で紹介されていたので鑑賞する事にした。

 

 本作をどのような分野の映画だと整理すればよいのか鑑賞後に考え込んでしまった。

ある種のダークファンタジー映画と考えれば良いのかとまずおいてみた。

 

 ファンタジーとは何か。ウィキペディアの記載では「ファンタジー(英: fantasy)は、超自然的、

幻想的、空想的な事象を、プロットの主要な要素、あるいは主題や設定に用いるフィクション作品のジャンル」

となっている。

 

 では本作も「超自然的、幻想的、空想的な事象」で設定されていると言えるのかどうか。この

問いは相当難しい。そう言いたい自分がいる一方、既にかなりの現実感を本作が帯びている

気がするからだ。

 

 考えてみると本作は本来「バットマン」誕生のプロローグという位置づけのストーリーであった

はずだ。理不尽に両親を殺害された少年が後にバットマンとなって悪と闘うという勧善懲悪の

物語の前座の話だ。

 

 そんな「前座」がこれほどまでの物語に膨れあがってきている事が今の世界の現状である。

要は何が勧善懲悪なのかが揺らいで来ており、バットマン以上にジョーカーがヒーローと

なりえる時代になってきたということだ。それが本作の現実感に繋がっている。

 

 映画の最後でジョーカーは暴徒によってパトカーから救い出される。立ち上がって

両手を広げるジョーカーの姿は十字架に架けられたイエスキリストに重なるように

見えた人も多いかもしれない。もしかしたら、2000年前の人たちにとってイエスキリストは

この映画のジョーカーのように見えていたのかもしれない。それは考えすぎなのだろうか。