本「満鉄全史」 加藤聖文
日本で新規鉄道というとリニアのみであり、むしろ廃線が議論になりやすい。
一方、僕が住んでいるタイのような東南アジアでは、いまなお新規鉄道は喫緊の課題
である。タイにおいても南北を繋ぐ鉄道の整備や空港間を結ぶ新規高速鉄道は
現在進行中のプロジェクトである。ということで、現代の日本人には鉄道の重要性は
今一つぴんとこない話なのかもしれない。その前提で本書を読んだ。
鉄道というものは物流の「手段」である。「手段」は「目的」ではない。鉄道の
場合、「目的」とは、鉄道上に何を載せて運ぶのかという点にある。
鉄道の過去を見ていると、軍事目的は大きい要素だ。端的にいうと、兵士や戦争に必要な
物資をいかに早く遠くまで運べるのかということだ。ロシアのシベリア鉄道も好例
であろうし、本書が描き出す満鉄も同様である。現代のわれわれには想像もつかない
熱心さで、当時の日本が満鉄を推進していたことが良く理解出来た。鉄道旅情という
ようなものは到底見つけることは出来なかった。
かような目的の背景は「国策」である。本書は満鉄を通じて「国策なるものとは
何か」を語ろうとしている。
著者が、国策とは結局あいまいな概念だったに過ぎないと最後のエピローグで言う。
「国策」という言葉と概念は非常に多くの人が語り、使ったものだった。但し、各々が
各自の自己勝手な「国策」を主張したことで、極めて曖昧かつ無責任なものに成り下がって
行ったことに著者は最も警鐘を鳴らしている。それは、著者にとっては現代の日本も
同じ状況に陥っているように見えるからだ。
「曖昧かつ無責任」という状態はあらゆる局面においても現出しがちな話である。
その意味では現代の僕らに、満鉄が示唆するものは多い。それが著者の本書を
上梓した趣旨であろう。僕はそう読んだ。