「 モンテーニュ 人生を旅するための7章 」 宮下志朗
本書の著者は近年モンテーニュの「エセー」を全訳された方である。ご本人によると
元々はラブレーを専門に扱われてきたらしい。但し、このところは「エセー」及び
「エセー」にまつわる著作が多い。これも「エセー」という高名な本の人気が高いという
ことなのだろう。
ところで著者は冒頭でいかに「エセー」というものが読み辛いかという点を述べている。
思い起こしてみると僕が「エセー」を初めて買ったのは高校生の時だった。岩波文庫
から出ていた「エセー」を購入し、拾い読み程度はした。しかし通読には至っていない。
それは著者が言う通り、モンテーニュの語り口が実に悠揚たるものであるからである。
例えるとするならモンテーニュと散歩していると歩いている場所と時刻が分からなくなって
くるような感じだ。そういえば小林秀雄も、「エセー」と比較して「徒然草」の簡潔を
言っていた。小林自身もモンテーニュとの散歩に疲れたということなのだろう。
そんな「エセー」の世界を、少しでも歩き易くしたいということが著者の野望であり、
本書という結果物なのだと思う。
著者が案内してくれる「エセー」との散歩はすっきりしており、道に迷う事もない。読んでいると
モンテーニュという方が実に自己を相対化されてきたことが良く分かった。フランスの田舎の小さな
塔の中で古典を読み耽るモンテーニュが、時おり顔を上げて曇りのない目で世界を眺めていた小さな
姿が目に浮かぶ。
ということで僕は「エセー」を通読する日が来るのだろうかと考えているところだ。
但し、おそらくは「エセー」とは「通読」すべき本でもないかもしれない。
国木田独歩は「武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路
でも足の向く方向へ行けば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」と
言った。それは案外「エセー」の読み方にも適用できそうではないか。