我々は自分の眼を信じるという点では案外盲目的だ
「成城だより 付・作家の日記」という大岡昇平の本に以下文章があった。
「(彼女は)恋人に(浮気の)現場を捉えられても、不実を認めなかった。恋人が
怒ると彼女は言った。『わかりました。あなたはあたしを愛していないんです。
あたしの言葉より、自分の眼を信じるんですから」
初めは彼女の滅茶苦茶な強弁に笑ってしまったが、じわじわと考える部分が出てきた。
我々は良く「現場に行って自分の眼で見ること」というような話をする。
「百聞は一見に如かず」であるとか「Seeing is believing」というような格言も
ある。従い、上記一文の彼女の暴論に笑ってしまったのかと思う。
但し、本当に、そんなに自分の眼を信じていいものかどうかという点はどう
なのか。Believingという言葉に、実は盲信という響きも聞き取るべき
ではないか。そう考えると、上記の彼女の暴論にも一抹の真実がないわけでも
ないかもしれない。
我々は自分の眼を信じるという点では案外盲目的だ。気が付かないうちに色眼鏡を
掛けていたにせよ、それに気が付かないと、色眼鏡を通じて見たものを「盲信」しがちだ。
その意味では自分の眼で見たものが本当に正しいのかどうかという懐疑は
本来有ってしかるべきではないか。そう考えると、結構深いものもある。
よく「あの人は一旦こうと思いこむと考えを変えない」というような話もある。
人間というものは一旦こうと信じてしまったものを見直すということは難しい動物
なのかもしれない。自分の眼で見たと思ったものには固執するではないか。
我々は毎日膨大な意思決定をしている。その際にも「本当か?」と一歩引いて
物事を見る癖を付けるべきだ。
ということで、上記の恋人たちはその後どうなったのだろうか。
女性の勝ちで終わったんじゃないかという気がする。