「探検家の日々本本 」 | くにたち蟄居日記

「探検家の日々本本 」

 角幡の本を纏めて読んでいる。正確に言うとキンドルで纏め買いしてしまった
ことで順番に読んでいるところだ。衝動買いと言えば衝動買いである。

 太陽の出ない氷原を冒険したり、雪男を探し回る不思議な男がどのような書評を
書くのかが本書のだいご味である。どんな本を選ぶのかという興味もあったが、
むしろその書評の書きっぷりが楽しい。

 しばしば書評において、対象とする本が中々出てこない。角幡は各書評の冒頭から
またもや自分の冒険を書き連ねる場面が多い。彼の冒険譚は面白いので、それは
それで楽しく読み進めるのだが、ふと、本書は書評ではなかったのかとも思ってしまう。
そう思い出した頃に対象とする本の話に漸くなっていく。そんな展開が多い。

 端的に言うと、角幡は各本を自分の為に読んでいるということだろう。角幡は自分の
経験と冒険から対象とする本を照らしている。本の照らし方は彼自身の照らし方でしかない。
彼のような冒険をしたこともない僕が、同じ角度で対象とする本を読めるわけは無い。ある意味では
良く知らない人がぶつぶつと独り言を言っているのを聞いていることに近い体験かもしれない。

 では何が面白いのか。例えば「極夜行」とは角幡が暗闇の中で辿った心象風景を追体験することが
面白い本であった。あれも角幡の独り言といって良い。その意味では本書も角幡が自身の経験を
踏まえて本を巡って辿る心象風景という点では「極夜行」と同じ構造と言える。

 僕にとって暗闇自体は理解不能であっても暗闇を辿る角幡の心象風景は少しわかる気がする。
同様に僕が読んだことはない本は、それを読んでいない以上、理解不要であるが、その本を辿る書評者の
心のありようは少しわかる気がする。まさに同じではないか。

 考えてみると書評本とは「僕が読んだことがない本を他人が評価しているという不思議な
本なのかもしれない。書評本が面白い理由はもう少し自分の中で突き詰めたい。