「モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語」 内田洋子
本に関する本である。本に関する本は結構多い。
本が好きな人にはいくつかのパターンがある。言葉で言うと、読書家、愛書家、蔵書家
というところか。
読書家は本を読むことが好きな人である。愛書家は、本という物体を好んでいる人だ。
蔵書家とは本をたくさん保有していることが好きな方である。以上は僕の分類であり、賛同
頂けない方もたくさんいるとは思っている。但し、本書の著者はその3つが程よく混ざった
方なのではないかと思いながら読み続けた。
予め言っておくと、僕はアマゾンの熱心なユーザーである。最近はキンドルで電子図書
を読む練習もしている。理由としては「蔵書」が楽であるということと、そもそも電子化
が時代の趨勢であり、避けがたいと思っているからだ。但し、それだけに紙の本の
魅力が僕にとっては際立ってきていることも確かだ。
本とは作家が書いた文字だけではない。
まず装丁家が腕を振るう本としての美しさというものがある。愛書家はそこに惹かれる。
本書も実に凝った装丁である。
続いて紙の手触りというものがある。新しい本と古書との手触りの違いには大きいもの
がある。時間が齎す紙の変化というものか。古書の手触りには、なんとなく暖かみもあり、
午後の残光のような香りが漂うこともある。紙の質にもいろいろある。どのような紙を選ぶ
のかということを決める製本家の存在がある。
そうして最後に言いたいのは「余白」だ。本を開いて余白がどう見えるのかということは
実は結構大事なことではないかと僕は思う。程よく余白が配置されている本は、造った
人のセンスと思いやりを感じさせるものだ。
このように一冊の本を作り上げるにしても作家以外にもいろいろな人が加わって
いる。それが紙の本の総合的な価値になっている。電子版ではそこまでは味わえない
のだ。
本書は本をめぐる著者の旅行記だ。著者が描き出すのはかつて本の行商に出た人たち
の旅行記でもある。旅行記で旅行記を書くという入れ子の構造を辿っていくと
一体誰がどこを旅しているのかが曖昧となっていく。その曖昧具合の心地よさが
本書の味わいだ。書いている内容にはいろいろと考えさせられる一方、そんな心地よさを
感じることが僕にとっての本書の正しい読み方であった。
本が好きな人にはいくつかのパターンがある。言葉で言うと、読書家、愛書家、蔵書家
というところか。
読書家は本を読むことが好きな人である。愛書家は、本という物体を好んでいる人だ。
蔵書家とは本をたくさん保有していることが好きな方である。以上は僕の分類であり、賛同
頂けない方もたくさんいるとは思っている。但し、本書の著者はその3つが程よく混ざった
方なのではないかと思いながら読み続けた。
予め言っておくと、僕はアマゾンの熱心なユーザーである。最近はキンドルで電子図書
を読む練習もしている。理由としては「蔵書」が楽であるということと、そもそも電子化
が時代の趨勢であり、避けがたいと思っているからだ。但し、それだけに紙の本の
魅力が僕にとっては際立ってきていることも確かだ。
本とは作家が書いた文字だけではない。
まず装丁家が腕を振るう本としての美しさというものがある。愛書家はそこに惹かれる。
本書も実に凝った装丁である。
続いて紙の手触りというものがある。新しい本と古書との手触りの違いには大きいもの
がある。時間が齎す紙の変化というものか。古書の手触りには、なんとなく暖かみもあり、
午後の残光のような香りが漂うこともある。紙の質にもいろいろある。どのような紙を選ぶ
のかということを決める製本家の存在がある。
そうして最後に言いたいのは「余白」だ。本を開いて余白がどう見えるのかということは
実は結構大事なことではないかと僕は思う。程よく余白が配置されている本は、造った
人のセンスと思いやりを感じさせるものだ。
このように一冊の本を作り上げるにしても作家以外にもいろいろな人が加わって
いる。それが紙の本の総合的な価値になっている。電子版ではそこまでは味わえない
のだ。
本書は本をめぐる著者の旅行記だ。著者が描き出すのはかつて本の行商に出た人たち
の旅行記でもある。旅行記で旅行記を書くという入れ子の構造を辿っていくと
一体誰がどこを旅しているのかが曖昧となっていく。その曖昧具合の心地よさが
本書の味わいだ。書いている内容にはいろいろと考えさせられる一方、そんな心地よさを
感じることが僕にとっての本書の正しい読み方であった。