「極夜行」 | くにたち蟄居日記

「極夜行」

いくつかの新聞での書評を読んだことで本書を読むきっかけを得た。非常に考えさせられた。

著者は極夜行という冒険とは人間のシステムの外に出ると定義付けている。本書から
浮かび上がるのはかかる「人間のシステム」のとてつもない大きさと強さだと
僕は読んだ。

例えば著者は人間と犬との歴史を類推している。端的に言うと、狼族の中で人間と共生し
協働することを選んだものが犬になったと言う。であるとしたら、犬自体が既に人間の
システム下に入っている動物であり、極夜行で、そのような犬を連れて行くこと自体が、
十分に人間システムの中にいると言うことは出来ないか。従い、著者が目指したシステム外に
出るということは、犬を同伴させたことで初めから失敗しているのではないか。そのような見方もできるような気がする。

そう書いていると僕が著者を批判しているようにも思われる方もいるかもしれないが、それは
誤解である。著者くらい人間のシステムの強大さを皮膚感覚で感じた人は少ないのでは
ないかということだ。最終段階で携帯電話を使って情報を集めた自身を著者はしっかりと
書いている。著者が生き残るために人間システムに頼らざるを得なかったことを明確に
記している。極めて正直な姿勢だと僕は高く評価したい。

ここで考えるべきは、人間の強さというものは何に起因しているのかという点だろう。本書を
読む限り、自らのシステムを創り上げるという強い意志を持ち、実行してきた点にあるのでは
ないか。体もそう大きくなく、力も強くない哺乳類の人間が今日のように繁栄してきたのは
システムを創り上げたからであると整理すると、本書はとても腑に落ちてくる。

赤ん坊が産道を通って初めて見る光を著者は想う。その光とは、今日では多くの場合、
人間のシステムが作っている電気によって齎された光ではないだろうか。
赤ん坊は母親の体という小さなシステムから出てくる。出てきた場所は人間のシステム
ということなのだろう。
そこから更に人間システム外を目指した著者は、自身も感じられている通り、進化した赤ん坊と言える。
それが成功したのかしなかったのか。それは読者である僕らの本書の読み方ということだろう。