「仙人と呼ばれた男」  | くにたち蟄居日記

「仙人と呼ばれた男」 

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 新聞の書評を読んで読む機会を得た。熊谷守一という方について、一度新聞で読んだことがあった。確か蟻の歩き方の観察という話だったと思う。すっかり忘れていたが本書を読んで思いだしたところだ。


 面白く読めたが、読後感としては、やや薄いものがあったことは否定できない。紹介される一つ一つの事象に対して、今一つ掘り下げが無いと感じた。


 例えば冒頭で熊谷が息子を無くした際に書いた絵の話が紹介される。子供を無くした画家が、その枕辺で子供の絵を描くという話は芸術家が持つ業の深さと言って良い。芥川龍之介の「地獄変」を思わせるエピソードだ。
 なぜ熊谷がかような絵を描けたのか、描かざるを得なかったのか。そこにもっと迫っていたなら、「芸術家とは」であるとか、「美とは何か」という深いテーマに持っていけると思う。但し、著者はそこを熊谷に迫らなかった。


 他にも熊谷の結婚であるとか貧困等も実に迫りがいのあるテーマのはずだ。作者も迫ろうとしていないわけではない。
 但し、彫りが薄い。それは何故なのだろうかと考えることも頭の訓練になる。


 本書で著者は多くの人に「熊谷を好きだ」と言わせている。著者自身も熊谷が大好きたったように見える。本来なら「なぜ破綻者に近い熊谷が多くの人に愛されたのか」と掘っていきたい気がする。但し、著者のかような愛情が、著者の持つスコップの切れ味を鈍らしたのではないか。そんな気がしてならない。描く主体=著者、と、掛れる客体=熊谷、との間の距離感というものは案外大事だったはずだ。その距離感が、やや近かったことで彫りという部分において少し薄くなってはいないか。それが読後感となった。

 一方、熊谷という方の絵と書はもっと見たくなった。これは本書と著者のおかげである。