「兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実」  | くにたち蟄居日記

「兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実」 

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 年末の日本で読了したところである。

徒然草は高校以来の、いわば愛読書だ。折にふれて読み返してきたものだ。作者の
兼好法師に関しても漠然と「市井の隠賢者」というようなイメージを持っていたに過ぎない。
従い、本書で描かれる兼好像は新鮮だった。すなわち隠者どころか世俗の中に塗れて
ある種のサラリーマンともいうべき処世像である。同じくサラリーマンである僕として
親近感を覚えないわけにはいかない。

思い返してみると、小林秀雄は早い段階から、兼好の持っていた好奇心と現実感を指摘
してきている。世の中で出てきた新奇なるものも確りと見て確りと書いたと言っていた。

 そんな小林の意見には、これまた漠然と賛同してきたのだが、それを兼好に可能に
させたものには思いは及ばなかった。兼好が俗世に塗れ、のたうちまわって行く中で
兼好が獲得することが出来た「視線」というものがそこにあったに違いないのだ。

振り返って自分はどうか。

兼好と同じく俗世に塗れていることは間違いない。但し、そこから獲得されるべき「視線」
というものを僕は手に入れていることが出来ているのか。それともただの視野狭窄に堕ちているのではないか。それが本書が僕に投げつけてくるものだ。

今回の本書は、兼好の「視点」の確からしさという点で僕には大いに意義ある
一冊となった。俗世を見極めるためには俗世の中にいなくてはならない。兼好が
知のアスリートとして稀有な存在だとしたら、それは彼が俗世の内側から物事を
冷徹に見極めたからにほかならない。