本が好きなのかどうか | くにたち蟄居日記

本が好きなのかどうか


先日ある方に「貴方は本が好きなのですか?」と聞かれて以来、「本が好きとはどういう
ことか」を考えることが増えた。

僕の感覚では

1 本を道具、ツールとして考える
2 本自体が目的になっている

という2パターンがある。

1の場合とは「本は情報収集の為の道具である」という考え方だ。つまり読んで
しまえば 極論するとその本は不要になり、容易にブックオフに行って売ってしまう
ようなパターンである。また情報収集が目的ゆえ、本だけではなくTVやネットでも
同様に熱心に情報を集める方なのだろう。

一方2のパターンは「本を持っていることが目的だ」というものかと思う。本が身の
回りにあることがある種の快楽になっている方は案外多い。蔵書印を作って入手した本に
判を押す方もいる。僕も、ややこの部類に自分がいるような気がしている。また、本棚がある種の
インテリアである事も、飾り用の本(中身は無くカバーだけ)を売っているのを見ても
容易に理解出来る。

ここまでは簡単に思いついたのだが、だんだん第三のパターンがあるのでは
ないかと思ってきている。
 「本を読む自分は好ましい」
というものである。

読書家というとなんとなくインテリでありイメージ良い。そのイメージ獲得が目的化すると
、「本好きの自分」を演出してしまうことになる。

例えば戦前は「岩波文庫が新刊を出すと、多くの人が題名も知らないままに
並んで買いに行く」ということがあったそうだ。これは明らかに「岩波文庫を
読んでいるという自分が好きだ」ということなのだろう。

この第3のパターンは結構本以外でも使える。「本」の代わりに「運動」
であるとか「ボランティア」であるとか、そのまま使える。

この第3パターンは煎じ詰めると「自分で自分に騙されている」という話にも
なっていく。我々は何かをやる際に、その自分の動機が何なのか、分かっている
ようで分かっていない。本を読むという作業一つとっても「一体なんで自分は本を読むのか」
であるとか案外分からないものだ。そういうことを突き詰めるのも結構面白い。

ということで、本に関してもは、自分も十分に第3のパターンにはまっている
点に気が付いて、やや呆れたところだ。