「南洋と私」 寺尾 紗穂

入社二年目の1988年から1990年頃にかけて、集中的にミクロネシア、北マリアナ連邦、グアムに
出張する時期があった。南洋での仕事の合間に、かつての日本軍の建築物や遺跡を見学する機会があった。また現地の病院で地元の老人と日本語で話したことも覚えている。
出張する時期があった。南洋での仕事の合間に、かつての日本軍の建築物や遺跡を見学する機会があった。また現地の病院で地元の老人と日本語で話したことも覚えている。
もう30年前の話だ。
その後、中島敦がパラオに駐在した際の本が角川書店が文庫で出版された。本作の著者は中島敦の本から
南洋にたどり着いたという。僕は南洋から中島敦にたどり着いた。ベクトルは逆ではあるが、
それはどうでも良いエピソードに過ぎない。
本書をどう読めば良いのか。本書はノンフィクションというジャンルにあるらしい。但し、著者自身は
プロのノンフィクション作家なのだろうか。本書を読む限り、取材も、やや行き当たりばったりに
見える。何より、著者の「スタンス」が見えにくい。著者は「歴史家」なのか、「民族学者」なのか、
「ノンフィクション作家」なのかという点が分からない。著者に聞けば良いのかもしれないが、きっと
自分はそれらのどれでもないというような返事しかしないだろう。
本書を敢えてノンフィクションというとしたら、「調査活動を通じた著者自身の人生というノンフィクション」
という言い方が正しいのかもしれない。
本書を書き上げるに当たって著者は15年程度の時間をかけてきている。その間に著者が経験してきた人生は
本書にさりげなく書き込まれている。恋人との南洋旅行に始まり、結婚、出産を経た点は行間にきちんと
埋め込まれている。
その上で、最後のあとがきで謝辞を捧げている相手を「かつての相方」と呼んでいる。南洋調査と、決して平坦
ではない著者自身の人生はシンクロしているように僕は読んだ。
大事な著作だと僕は思う。30年前に南洋で思ったことは「このような歴史は既に風化が進んでおり、誰かが
調査すべきではないか」ということだった。南洋は著者を得て、一つの貴重な著作を産んだのだと僕は
思う。
その後、中島敦がパラオに駐在した際の本が角川書店が文庫で出版された。本作の著者は中島敦の本から
南洋にたどり着いたという。僕は南洋から中島敦にたどり着いた。ベクトルは逆ではあるが、
それはどうでも良いエピソードに過ぎない。
本書をどう読めば良いのか。本書はノンフィクションというジャンルにあるらしい。但し、著者自身は
プロのノンフィクション作家なのだろうか。本書を読む限り、取材も、やや行き当たりばったりに
見える。何より、著者の「スタンス」が見えにくい。著者は「歴史家」なのか、「民族学者」なのか、
「ノンフィクション作家」なのかという点が分からない。著者に聞けば良いのかもしれないが、きっと
自分はそれらのどれでもないというような返事しかしないだろう。
本書を敢えてノンフィクションというとしたら、「調査活動を通じた著者自身の人生というノンフィクション」
という言い方が正しいのかもしれない。
本書を書き上げるに当たって著者は15年程度の時間をかけてきている。その間に著者が経験してきた人生は
本書にさりげなく書き込まれている。恋人との南洋旅行に始まり、結婚、出産を経た点は行間にきちんと
埋め込まれている。
その上で、最後のあとがきで謝辞を捧げている相手を「かつての相方」と呼んでいる。南洋調査と、決して平坦
ではない著者自身の人生はシンクロしているように僕は読んだ。
大事な著作だと僕は思う。30年前に南洋で思ったことは「このような歴史は既に風化が進んでおり、誰かが
調査すべきではないか」ということだった。南洋は著者を得て、一つの貴重な著作を産んだのだと僕は
思う。