「最後の秘境  東京藝大」  | くにたち蟄居日記

「最後の秘境  東京藝大」 

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 亡くなった叔父が藝大に通ったことを思いだして本書を手に取った。

 叔父は高松次郎という画家である。というか、彫刻みたいなものをやったり、路上パフォーマーみたいなことも
やったりした方である。子供の頃に叔父の家に行って、そのアトリエでも遊んだが、まあ訳が分からなかった。
子供だったから分からなかったと思っていたが、五十歳を超えた今でも、分からないものは分からない。
もっというと芸術とはそもそも分かるものではきっと無いのだろう。

 さて本書である。面白く読了した。何が面白かったかというと藝大生の「真面目さ」が良く伝わってきた点にある。

 僕は芸術家というものは真面目でないと到底務まらないと思う。例えば週休二日の芸術家などがいるかどうかを考えてみると、余りいないような気がする。

 「土日もなく芸術に没頭する狂気」は真面目という言葉に置き換えられるものだと僕は思う。本書を見ていても
芸術家の卵である生徒たちが既に十分に狂気に走っている姿が散見される。彼らが何を目指しているのかはよく分からない。彼ら自身も分かっていないようにも見える。目指すものが分からないままにそれを目指して走っていく足の筋肉の盛り上がりが本書を読む醍醐味だ。

 藝大の卒業生のその後の厳しさについても本書にて紹介されている。当然だと思う。芸術というものには
実用性が求められていないからだ。

 但し、芸術とは優れて人間的なものだ。僕自身は全く芸術家ではないが芸術があることにとても
助けられている。それは大半の方も同じ想いなのだと僕は断言したい。
 芸術というものが無いことは実はすでに有りえなくなっているのが人間である。そういう定義も人間や
人類には成り立つに違いない。本書で展開される真面目な奇人変人の方々を見ていて改めて、
人間の定義を思ったところである。