「ニッポン国 古屋敷村」   | くにたち蟄居日記

「ニッポン国 古屋敷村」  

 
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 以前から観たいと思っていた映画である。上映される機会を知ることも難しく、ビデオ化もされたなかった
ことで僕の中では幻の作品だった。今回DVD化された事を知ってすぐに購入した。

 この映画を観ていると、時間の感覚が失われてくる。

 まず稲の生育についてじっくりと語られる。冷害と稲の育成の関係を科学的に見せる。僕らは
稲の勉強をさせられるように思える。だが、実は「冷害に遇う村」という古屋敷村の置かれた位置
が刷り込まれていく仕掛けになっている。ここで僕らは不思議な空間にさ迷い出すことになる。

 冷害に苦しむ厳しい環境の中で次は炭焼きが語られる。僕も炭焼きをこれだけ見せてもらったのは
初めてだ。この炭焼きを見ているうちに、この映画が1980年代であることを次第に忘れていく。
見ているうちに、舞台は明治なのか大正なのか昭和初期なのかが分からなくなってくる。

 その上で、養蚕に話が展開する。養蚕と太平洋戦争が絡んでくる。ある方は自身の
戦争の経験を語った後に、草原で軍服を着てラッパを吹く。ここにおいて、登場人物が現代の人なのか
昭和20年頃の人なのかが区別がつかなくなってくる。

 この「分からなくなっていく」という感覚がこの映画の神髄だと僕は思う。繰り返される「花屋」という
美しい屋号を担った色々な方が暗闇から浮き出ては消えていく。徐々にある種の神話を滔々と
語られているような気がしてくる。

 本作は反戦映画と観る人もいるだろう。過去の貧しい山村の生業を描いた作品と観る人もいるだろう。
若しくは稲作・炭焼・養蚕といった日本古来の産業を紹介する映画だと思う人もいるかもしれない。

 但し、僕はそんな話ではないと思う。監督の小川が何に惹かれて古屋敷村の一年を撮影したのか。
僕は、「時間と空間が捻じれ、過去と現在が混在する不思議な空間」に小川が強く惹かれたのだと
断言したい。憑かれたと言う方が正しいかもしれない。

 古屋敷村には時空を超えた語り部たちがいた。ニッポン国とカタカナを使った小川の気持ちも
分かる。今の日本とは違った、ニッポンとも表記すべき不思議な空間を見つけたという新鮮な
驚きを映画の題名に使ったということだ。

 漸く鑑賞できることが出来てとてもほっとした。