「オはオオタカのオ」 | くにたち蟄居日記

「オはオオタカのオ」

イメージ 1


 新聞の書評で本書を知り、読む機会を得た。読み終えるのに時間が妙に掛かった。その理由はよく分からない。

 本書はノンフィクションである。著者は父親を亡くした哀しみを癒そうとする。その方法としてオオタカを飼い、オオタカと二人で孤独に自然に「逃避」というものである。

 というように書いても本書に関しては何も伝わらないだろう。あらすじはそうであっても、内容ははるかに複雑だからだ。

 登場人物は4人と言い切って良い。著者、亡くなった著者の父、ホワイトという20世紀の中頃に亡くなった作家、そうしてオオタカのメーベルである。

 著者はメーベルを片手に止まらせながら孤独な自然に分け入っていく。その中で心象風景として父親とホワイトが重層的に語られていく。特にホワイトという作家に対する著者のある種の愛憎交じった想いは本書に深い青みを齎している。
 読んでいくうちに、その4人が互いに交じり合ったり、同化したりする様を見ているような気すらしてくる。そんな不思議な風景が本書を読むということだ。

 その中で著者は救われていく。父親を亡くした衝撃から、少しづつ回復していく。一羽の鳥が人間を回復させていく様がはっきりと看て取れる。

 動物と人間の交流という話は別に目新しいものではない。但し、本書では著者自身が鷹に同化していき、鷹の視点で自分自身を再度見つめなおすという点で新鮮だ。著者は「鷹と狩りをしていると、私は人間でいられるぎりぎりのところまで連れていかれた」(239頁)と書く。僕には正直その感覚は分からない。但し、本書のテーマはこの一文に凝縮されているようにも思える。「人間でいられるぎりぎりのところ」というものは何なのかを考えることが本書なのかもしれないからだ。

 とても良い本だ。多くの方に読んでいただきたい。