「しあわせのパン」  | くにたち蟄居日記

「しあわせのパン」 

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 観ていて惜しいと何度も思った。

 映画のある種のジャンルとして「喫茶店もの」があると僕は思っている。舞台を「ある喫茶店」として、そこの
オーナーは固定する。訪れる客にバラエティーを持たせることでエピソードをいくつか用意する。結果ある種の
オムニバス映画のような出来上がりとなる。

 例としては「カモメ食堂」「メガネ」「深夜食堂」「ふしぎな岬の物語」のような作品がある。やや
趣は異なるも、「幕末太陽伝」や「どん底」といった古い時代劇も同じ構造と言える。本作もその「山脈」に
繋がる一作だ。

 惜しい理由は以下である。

 一点目。訪れる客が齎すエピソードが紋切り型すぎる。「失恋した東京の女性が北海道に傷心旅行に来て癒される」であるとか、「離婚した夫と娘がお互いを支えあうようになる」であるとか「死に場所を求めた老夫婦が生に再度目覚める」というような話は、いずれも既視感を覚えてしまう。この点では例えば「メガネ」のように
「全くエピソードを見せない」という過激性の方が印象に残るというものだ。

 二点目。主人公の夫婦が今一つ彫り込まれていない。何かがある点はニュアンスとして示されるが、それが
何なのかは説明されない。「敢えて説明しない」という手法はあろうが、そこまでのミステリアスな造形
でもない。従い中途半端である。

 以上で惜しいと僕は思った。相変わらず横顔が圧倒的に美しい原田知世には感心しながらも、
物語にもう一歩説得性が無かった点は悔やまれた。