「わが記憶、わが記録」 堤清二x辻井喬オーラㇽヒストリー | くにたち蟄居日記

「わが記憶、わが記録」 堤清二x辻井喬オーラㇽヒストリー

 堤清二関係の本はぽつりぽつりと読んできている。本書も久しぶりではあるが堤関係の本を読む機会を得た。

 セゾン文化というものが1980年代から90年代にかけて喝采を浴びた歴史がある。セゾン文化の
特徴は反主流を謳っていた点にあったと理解している。

 カウンターカルチャーであるだけにいろいろな人が「乗りやすい」という便利さがあった。
ニューアカデミズム等にかぶれがちな、ややスノッブな方も乗れるし、消費生活に敏感なバブルな人も
乗れるような、そんな便利な「文化」であった。

 かつ、それをセゾングループという企業が営利事業として成立させようという壮大な実験であった点が
特徴である。詩人である辻井喬が構想したものを実業家堤清二が事業として進めた「文化」である。
こんな実験は他にはなかなか見られない。せいぜいいくつかの企業名を冠した美術館が類似例として
挙げられる程度であろう。

 では21世紀の現在からセゾン文化を見直すとどうか。

 グループとしてのセゾンはほぼ解体された。文化を標榜した色々な試みも姿を消したものが
多い。そう考えると、壮大な実験は失敗に終わったように見える。但し、21世紀の今でも
セゾン文化の残響のようなものは残っていることも確かだ。

 以前、他の本のレビューにて「辻井喬は堤清二というペンネームで実業界で活躍した」という
ようなことを書いた記憶がある。今回もその想いは変わらなかった。加えて、堤康次郎という政治家
の子供であったという背景を基に、堤清二は政治界でも暗躍した点が新鮮であった。詩人と実業家と政治家
をやったような方は、明治時代には散見された気もするが、堤清二、あるいは 辻井喬は、その徹底度
において傑出している。