「沈黙」 遠藤周作

会社の上司の推薦で本書を読んだ。本書は名高い一冊ゆえ署名は前から知っていたが読む機会が
無かった。
僕はキリスト教徒ではない。従い、本書をどこまで深く読むことが出来るのだろうかと常に
思いながら頁をめくった。結論的にはキリスト教徒でなくても、この怖ろしい本の読者になれる
ことが分かった。
本書のテーマは「転ぶ」ということにある。これは僕らの日常にもよくあるテーマだ。自分で
不本意だと思うことをやらなくてはならない場面等はいくらでもある。「不本意な事をやらなくてはならない」
という状態を「転ぶ」と呼んでも良い。
やりたくないことをやる理由は何か。当然ながら無数の理由があるが、いずれにせよそこに
自分の弱さを見ることは容易である。本書を読む人が救いを得るとしたら、そんな「自分の弱さ」
に対するある種の肯定を本書に見出すからだと僕は思う。
但し、「転ぶ」にしても「積極的な転び」と「消極的な転び」の二種類がある。僕らが不本意な事を
やらされる場合には、明らかに後者である。では、本書の主人公の「転び」とはどちらなの
だろうか。僕は前者であると考える。若しくは、前者で無い限り本書は成立しないのではない
だろうか。
ロドリゴが「転んだ」理由は何か。自身の信仰が結果として自己満足でしか有り得ず、救おうと
してきた他者を滅ぼすという自己欺瞞に気が付き、そこから積極的に脱却する為に「転んだ」
と読むことが出来る。
「積極的」といっても、決してそこには明るさは無い。著者はその後のロドリゴに明るい人生を
与えていない。むしろ「沈黙」の中に沈んでいったであろうロドリゴのその後を淡々と描き出して
いる。そこが本書の怖しさである。
僕はキリスト教徒ではない。従い、本書をどこまで深く読むことが出来るのだろうかと常に
思いながら頁をめくった。結論的にはキリスト教徒でなくても、この怖ろしい本の読者になれる
ことが分かった。
本書のテーマは「転ぶ」ということにある。これは僕らの日常にもよくあるテーマだ。自分で
不本意だと思うことをやらなくてはならない場面等はいくらでもある。「不本意な事をやらなくてはならない」
という状態を「転ぶ」と呼んでも良い。
やりたくないことをやる理由は何か。当然ながら無数の理由があるが、いずれにせよそこに
自分の弱さを見ることは容易である。本書を読む人が救いを得るとしたら、そんな「自分の弱さ」
に対するある種の肯定を本書に見出すからだと僕は思う。
但し、「転ぶ」にしても「積極的な転び」と「消極的な転び」の二種類がある。僕らが不本意な事を
やらされる場合には、明らかに後者である。では、本書の主人公の「転び」とはどちらなの
だろうか。僕は前者であると考える。若しくは、前者で無い限り本書は成立しないのではない
だろうか。
ロドリゴが「転んだ」理由は何か。自身の信仰が結果として自己満足でしか有り得ず、救おうと
してきた他者を滅ぼすという自己欺瞞に気が付き、そこから積極的に脱却する為に「転んだ」
と読むことが出来る。
「積極的」といっても、決してそこには明るさは無い。著者はその後のロドリゴに明るい人生を
与えていない。むしろ「沈黙」の中に沈んでいったであろうロドリゴのその後を淡々と描き出して
いる。そこが本書の怖しさである。