「植物はすごい」

本屋で偶然手に取り、購入した。本屋の醍醐味の一つは、かかる「衝動買い」が出来る点にある。今まで
読まなかったジャンルの本を見つけることは、しばしば本屋での散歩の間に起こる。
本書では植物の持つ「知恵」が紹介される。植物が精巧な仕組みで生きているであろうことは
なんとなく想像はついていたが、本書を読んだことで、その「想像」が正しいことが良く分かった。
植物は考えることは出来るのか。直観的に言うと、植物が考えているとは思いにくい。但し、本書を
読むと植物も考えていることが分かる。より正しく言うなら、僕らが「考えている」と呼ぶ知的作業は
実は様々なバリエーションを持っているというべきなのだと思う。
「考える」とは何か。例えば「考える」とは、「ある現実の事象に対してその対応策を
検討し、選択する」という定義を考えてみる。この定義であるなら、「植物が考える」ということを
説明つけられると僕は思う。
「検討し」という部分の「検討の仕方」が植物と人間とでは違う。但し、それは「時間軸」が違う
だけではあるまいか。
人間は比較的早く「検討」することが出来る。植物は、時間を掛け、進化や淘汰の中
で「検討」している。そう考えると、時間軸だけが違うと言っても良いのではないか。
「人間だけが考えることが出来る」と考えることは、人間の驕りであると言える。
「考える葦」である人間としても、他の生物も「考える」何かである点は理解すべきだ。そんな
ことを考えさせてくれる本書は刺激的な一冊と言える。
読まなかったジャンルの本を見つけることは、しばしば本屋での散歩の間に起こる。
本書では植物の持つ「知恵」が紹介される。植物が精巧な仕組みで生きているであろうことは
なんとなく想像はついていたが、本書を読んだことで、その「想像」が正しいことが良く分かった。
植物は考えることは出来るのか。直観的に言うと、植物が考えているとは思いにくい。但し、本書を
読むと植物も考えていることが分かる。より正しく言うなら、僕らが「考えている」と呼ぶ知的作業は
実は様々なバリエーションを持っているというべきなのだと思う。
「考える」とは何か。例えば「考える」とは、「ある現実の事象に対してその対応策を
検討し、選択する」という定義を考えてみる。この定義であるなら、「植物が考える」ということを
説明つけられると僕は思う。
「検討し」という部分の「検討の仕方」が植物と人間とでは違う。但し、それは「時間軸」が違う
だけではあるまいか。
人間は比較的早く「検討」することが出来る。植物は、時間を掛け、進化や淘汰の中
で「検討」している。そう考えると、時間軸だけが違うと言っても良いのではないか。
「人間だけが考えることが出来る」と考えることは、人間の驕りであると言える。
「考える葦」である人間としても、他の生物も「考える」何かである点は理解すべきだ。そんな
ことを考えさせてくれる本書は刺激的な一冊と言える。